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本質的にちくらぎ

文芸サークル「本質的にちくらぎ」のページです!

テキスト系同人誌(文章系同人誌)のレビュー企画|第四号――京都大学非公認「サークルクラッシュ同好会 Vol,4」

四、サークルクラッシュ同好会そのもののサークルクラッシュ
 以上の目的を一定程度果たし、当同好会がサークルとして成り立ってきたところで、最後の仕上げとして 自身のサークルをクラッシュし、有終の美を飾る。
――サイト「活動目的」より 

 

 今回は、京都大学非公認サークル「サークルクラッシュ同好会」の会誌(vol.4)です。サークルのイメージとは異なり、かなり真面目に作っているのでレビューするの大変なんです。しかも、この手の分野には複雑なコンテクストがある――というか「私はメンヘラに関する作品について詳しい」「私はSNSのメンヘラや姫に関して誰よりもわかっている」という自尊心を持っているひとたちがネットにわんさかいる――ので、うまくそれを回避しながらレビューしようと思います。

 

※本稿に書かれていることは「らららぎ」個人による感想の域を越えず、本サークル『本質的にちくらぎ』とは関係ありません。


購入動機と星型レビュー

【購入動機】
(1)気になるジャンル本
(2)内容が真面目(かつ実力者が多い)
(3)作品批評でお茶を濁すのではなく、ひとを観察・考察するハイレベルでオリジナルな価値がある

 

【評価】
装丁:☆☆☆☆☆  *パニエスカート・フリル・リボン・日傘・ショートソックスかわいい(第二号の子がいちばん好きです)
編集:☆☆
校正:☆
目次:☆☆☆
評論:☆☆☆☆   *内容は面白いのですが、クラッシュの「失敗性」ではないまったく別方向の評論があればいいな、と思いました。
小説:☆☆☆☆   *「サークルクラッシャー麻紀」、最高です
漫画:☆☆☆☆
奥付:☆☆


メンヘラ論・姫論・サークラ

 一般的なメンヘラ論・姫論は、特定の作品や人物(アカウント)とともに語られやすいのですが、「サークルクラッシュ同好会」では、創始者の「ホリィ・セン」さんがひととひとの関わり自体に着目しているということもあり、作品群やアカウント群の文脈で考察するというよりかは、サークルクラッシュという概念で助走をつけながら具体的な事例や経験などを関係論的に分析・統合してゆく空気があって、とても好きです。

 

巻頭言

幾度も反復されるイメージ。どれだけ言葉を紡いでもすくい取れないあの人。いつも悩んでいたはずなのに、今以上に悩んだことはない。絶対的な転轍点だった、いやありうべき線路はもうない。心地良かったえふぶんのいち、永遠に続く単調な揺らぎが、終わりあるものなのだと教えてくれたあの人に、何かを言いたい。相手はもう目の前にはいなくて、ことばは空転するのだけれど。あの人のことばは外殻を切り裂いて、意味が、世界が、わたしが、開かれた。(p.7)

 

 ホリィ・センさんによる巻頭言です。かなり長いですが三種類の読ませる文章が用意されております。太宰の『ダス・ゲマイネ』っぽい雰囲気です。

 

恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも思われていたその賢明な、怪我の少い身構えの法をさえ持ち堪こたえることができず、謂いわば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないという嗄しわがれた呟つぶやきが、私の思想の全部であった。

 

 巻頭言の最後にある「実際チョーまじめだからこの本。たかが恋愛なのにね!」のところがすごく好きです。

 

【校正要素】
・「どれだけ言葉を」「ことばは空転する」「あの人のことばは」

 

サークルクラッシャー麻紀」――佐川恭一さん

男4、女1、すばやく人数を確認。女のルックスは中の下。男どもはおしなべてヒエラルキー下位。おし隠せない童貞の香り。右手にべったりはりついた精液の幻影が見えるようである。(p.10)

 

「えっすごーい! A文学賞って聞いたことあります! それの最終選考ってもうほとんどプロじゃないですか!」
 部長は緊張にこわばっていた顔を少し緩める。三次と一次が嫉妬心を燃やす。「いや、おれも三次までは行ったんやけどさあ」「おれも一次はいってんねん。二千ぐらい応募あるから、一次も結構難しくて、こないだやっとさあ」などと自分もある程度すごいことを何とか示そうとする。(p.13)

 

その後しばらくの間、例会ではケンタの隣に座ったサークルクラッシャー麻紀が机の下でケンタのペンスをいじろうとし、「やめろって」などと言いながらまんざらでもないケンタのドヤ顔を見せつけられる、ということが続いた。(p.13) 

 

 隅から隅までわざと記号化してまわり、名前の付けかたもオースターの『幽霊』のように工夫されていて、読むひとに「サークルクラッシュされる(クラッシャれる)ってこういうことなんだ」と共有イメージを抱かせるのに充分な文章で書かれていました。そのなかでも「部長」という人物をとことん書けていて、短編なのにすごいなあ、と関心するばかりです。

 

 雰囲気のある巻頭言に、いきなりハイレベルな小説が出てきて、出し惜しみなく本気で作ってきている感じが嬉しいです。紙面の都合かもしれませんが、ほとんど改行がなくそこだけ苦しかったです。

 

【校正要素】
・「価値観を持つ」「弾力をもつ肌」「小説を持って行かなくなり」「威力を持たなく」
・「いく/行く」
・「まぎれこませる」「教え込む」「ペニスを挿し込まれてイキ狂う」「落ち込む」「ペニスをはめこむために最適化」「新たな価値観を持ち込んだ」「決め込めさえすれば」「魂をこめたかどうか」「老け込む」
・「いま/今」
・「京都大学へのチケットと引き替えに捨てた」「論点をすりかえた」
・「はじめて/初めて」
・「サークルクラッシャー麻紀(36)」p.16横になっています


「『付き合う』とはどういうことか――愛と契約の関係性について」――すりっぱさん

では、「付き合う」という契約は、逆に相手に何かを禁じるものであると考えることはできないだろうか。(…)つまり私たちは、関係の排他性を経由することでしか、「付き合う」という契約を有意味なものとして定義することができないのである。(p.23-24 3-3 占有の契約)

すなわち、そもそも相手が「私」にとって特別であることは自明であるのに、なぜ相手をそのように扱うことをわざわざ約束しなければいけないのだろうか。(p.24) 

 

 恋愛を社会学(やジェンダー・文化・権力論)だけを頼りに切っていく手法や、「付き合う」=「契約」として捉えようとする価値観も中学生あたりから社会人にいたるまで、なぜか大人気です。著者のすりっぱさんは、じぶんが何度も振られ、そのとき付与された建前のような理由(友達でいたいから、など)を中心に考察するのですが、「社会学が答えを教えてくれる」という前提にあるのかな、という感じのぎこちない論述という印象でした。

 

 最初の段落「『付き合う』とは、一般的にお互いの合意があって初めて成り立つ関係だからである。」(p.18)で、「合意」概念を認めて以来、なぜか説明もなく「契約」という概念に置き換えられ、「合意」については考察されておりません。「契約」「約束と制限」「同意と許可」「意志」「決定プロセス」などはいいのですが、どうして「合意」を置き換えたのかは不明です。

 

 恋愛成就は「タイミング」「フィーリング」「ハプニング」と言われますが、合意というのはどのような複雑なプロセスを経ているのでしょうか。「告白をハプニング化する」とか、「制限をフィーリング化する」とか、そういうことが可能なのか不可能なのか、どういうプロセスなのか、だれのなにをスキャニングすると解明するのか、そういったことが気になります。「付き合う=告白」を論じると、どうしても「失敗しないために」というデータ化・演算処理化の話になりがちです。そりゃ誰だって失敗したくないわけですから、そうなってもしかたないのですが、失敗から得られるデータだけを分析しても、偏った結論しか得られないようにも感じます。本質だけを抜き出し、データ化して、演算処理しても、「データの取りかた」が練られていなければ、狙った問題解決は得られませんからね。

 

【校正要素】
・「A・ギデンズ」「R・D・レイン」「人数が0人」「相手A」「相手B」「4-3」横になっています。
・「愛がいわば非選択的な選択」いわばになっていません。(いわば株価のようなもの、のところは◎)
・「一体なんなのだろうか」「何なのだろうか」
・「~すればよい/良いだろう」
・「みなす」「見当たらない」「見合う」
・「信条をもった」「好意を持った」「知識を持った」
・「区別をつける」「区切りを付ける」「結論付ける」「付き合う」
・「といえるだろう」「と言わざるをえない」「さらにいえば」「とは言えないの」
・「意識的に維持される愛は、もはや愛とは言えないのはないだろうか」脱字


「セックス同意書」「アスペ的人間は恋愛とどう付き合えばよいのか『セックス同意書』考」――ひでシスさん

 こちらも「失敗しないために」を前提に、本質だけを抜き出して、データ化し、それを演算処理すれば、人間の感情発露パターンなんて限られているから成功する、という発想が出てきます。失敗しなくなるのはいいのですが、失敗しなくなったあとはどうしたいのでしょうか。「サークルクラッシュ」のまさに「クラッシュ」の部分を失敗として考えたときに、失敗しなくなって、クラッシュがなくなったときに、まだ自由恋愛が行われるとして、どういう世界であることを望んでいるのでしょうか。

 

【校正要素】
・「共に行う相手 」半角スペース
・「見を投じる」誤字


「職場クラッシュ」――サークラ姉さん

 論点とはちがいますが、サークルはクラッシュするだけマシですね。

 

「物理学徒が読み解くサークルクラッシュ現象」――2501(サークラの覗き屋 atTUS)さん

 ここでもまた「失敗しないために」ということが書かれ、もしかしたらサークルはサークルクラッシュを望んでいるのかもしれない、という観点は排除されております。もう少し物理的に解くのかと思っていましたが、やはり扱いにくいのかもしれませんね。とかく「メンヘラ」にせよ「姫」にせよ、なんなら「サークル構成員」にせよ定義が難しいので、ありがちな記号化と独りよがりな断定はまぬがれないのかもしれません。

 

【校正要素】
・p.44下段右5行目、字下げ
・p.47下段左2行目、字下げ
・「不備が目立つことを前もってお断りとお詫びを申し上げる」
・「どうなるか?」などのダレ後のマス空け
・「つづく/続く」

 

「女子大生かくありき。」――ばっきーぬさん

 漫画の補足に書いてある「学生のうちに恋愛耐性を身につけておく」というのは、ここまでの著者の「理論によってあらかじめ失敗しないように」というビクビクした前提とは異なるもので、明るいです。ちょうど後半一発目だったので、ようやく明るいのが出てきたな、という感じでした。絵は、トーンの部分のトーン感がすごいのでなんかもう少しどうにか、という感じでしたが、全体的にうまくてよかったです。

 

「映画『心が叫びたがっているんだ。』レビュー:ただ成瀬がかわいそうだから彼女にしたとか思われるのは嫌だしそんなつもりもないし、もうァーって感じだ」――じあんさん

 作品批評でお決まりのフロイト・クライン・ラカン(ついでに斎藤環)でした。

 

「ちーちゃんはこう言った」――雪原まりもさん

 ニーチェの変奏はすごくよかったのですが、地の文がどうしても無理でした。

 

僕はなぜクラッシャられるのか」――ホリィ・センさん

久々に振られてみて気づいたのは、「ちゃんと振ってくれる」人というのは意外に少ないということです。(p.82) 

 

 東、宇野、宮台、平野を出しながら、途中なにが語りたいのだろうとよくわかりませんでした。前半を読んでいたとき「私はマザコンなので恋愛できないんです」と言えば終わるような話を延々としていて、自分(自分の恋愛)について語りたいのか、オタク(オタクの恋愛)について語りたいのか、東とか宇野とかについて語りたいのか、Key作品について語りたいのか、サークルクラッシュについて語りたいのか、ほとんどじぶんのなかで整理されずに熱量と評論知識だけで進めてしまっているな、という感じでした。(でもクオリティは高いと思いました)。

 

 最後に「(…)恋愛は人を〈他者〉へと向かわせるということになる。それは『母性』からの自立であり、恋愛における成長は人間の発達段階のアナロジーのように捉えられるのではないか、と思った。そういう意味で、クラッシャられはいつまでも無条件に承認し続けてくれる母親から離れられない赤ちゃんなのではないだろうか」と結んでいるとおり、これはマザコン男の割と典型的な話を、AIRだのセカイ系だのの評論の文脈で変奏しただけで、なにか特別な話というわけではないんですよね。

 

 単に「これまでずっとママから与えられてきた勝ち組男のマザコンが、自由恋愛において同じような心の穴を持っている人間としか接触できてこず、お互いが『ママのようにずっと与えてくれること』を望むためにあえなくクラッシュする」ということで、あと一歩、なにかアイデアがほしかったなあ、というところでした。第四号まで同じテーマでやっていると、こうなってくるのかな、と、行き詰まりも感じました。

 

 最初の「ちゃんと振ってくれる」の「くれる」のところからマザコンの匂いがプンプンしていたのですが、おそらくそれは自覚されていないかもしれません。

 

【校正要素】
・「UFOの夏」「≒」横になっています。

*********

 あいかわらず面白いひとたちが、面白いことを考えているなあ、と読んで大満足しました。特に自己救済的に「失敗しない理論」への熱量がすごく、そういうのは見ていて若さだなあと感じて、じぶんのエネルギーにしようと思えるのでありがたいです。

 

 なぜ社会学や古典精神分析学にこだわるのかわかりませんが、もしかしたら「ママ」の代わりが学問のなかにあるという神託(オラクル)を受けているのかもしれませんね。ホリィ・センさんの論がとても納得でき、私自身もおおむねそう考えているところです。赤ちゃんだから――もっとマシに言い換えて「大学は幼稚園だから」――クラッシュして当たり前というか、むしろクラッシュしたいんじゃないんですか、というのが私の聞きたいところです。

 

 学問や理論や、あるいはサークルの女の子に「ママ」を探して、裏切られて、うわーん(ァー!)ってなって、やっぱりママはママしかいなかった、というところに再帰したいんじゃないんですか、という感じがします。

 

 与えて欲しいものを与えられてきたひと、というのは、「恋愛」を使ってどのように自己変容してゆくのでしょうか。あるいはそれをテクニカルに支える理論などはあるのでしょうか。チューリングマシンの停止問題ではありませんが、数学的に解決できそうなところと、できなさそうなところの区別がさらにハッキリするとよいですね。つくづく、サークルクラッシュ同好会の論文から目が離せません。