本質的にちくらぎ

文芸サークル「本質的にちくらぎ」のページです!

テキスト系同人誌(文章系同人誌)のレビュー企画|第一号――『立教大学文芸批評研究会 文/芸 Vol.8 秋号』

立教大学文芸批評研究会は、
文学や芸術やサブカルチャーといったフィールドに、
創作と批評の両面からアプローチしていく新しいサークルです。
現在は、メンバーの個性を反映した、
さまざまなテーマの勉強会を中心に活動しています。

文芸批評研究会は、
既存の文芸サークルや創作系サークルとは、
一線を画した活動を展開していきます。
(文芸批評研究会・新ブログ「About」2012年3月24日) 

 

 今回とりあげる同人誌は「立教大学 文芸批評研究会 文/芸 Vol.8 秋号」(@bunhiken)です。読み終わって最初の印象は、勉強熱心なひとたちが集まっているなあ、というものでした。まずは購入動機と評価から始めて、細かいところを見てゆこうと思います。

 

※本稿に書かれていることは「らららぎ」個人による感想の域を越えず、本サークル『あみめでぃあ』とは関係ありません。


購入動機と星型レビュー

【購入動機】
(1)立ち読みしたときに「仮病」が面白かった
(2)「定価」と書いてあった(新しくてびっくりした)
(3)表紙四(いわゆる裏表紙)に誤字があったのでサンプルとして(校正屋なので)

 

【評価】
装丁:☆☆☆
編集:☆☆    *レイアウトは工夫されているけれど、細かい点の処理が雑です。
校正:☆     *特に校正されている様子はありませんでした。
目次:☆     *凝るなら凝る、見やすくするなら見やすくしてほしかったです。
評論:☆☆☆   *テーマ選びはさすがで、後は文章という感じです。
小説:☆☆
俳句:☆☆☆
企画:☆☆☆☆  *まさに目玉企画でした。面白いです。
奥付:☆☆    *みんなで創るのはよいのですが、「本」の責任の所在が不明瞭でした。

 

「定価」と「頒価」

 まず、同人ではあまり「定価」ということばを使いません。なぜなら、本における「定価」というのは、再販売価格維持制度によって規制されており、わざわざ「定価」にする意味がないからです。さらにその内容から「売ること」(商品化)がメインになり、コミックマーケットをはじめ、多くの同人即売会がかかげている「創作物」としてのニュアンスに反してしまいます。さらにさらに本来、頒価というのは「サークル内でのみ頒布される会誌」を部外者が手に入れるために払う対価でもあります。そのため「頒布」や「頒価」という言葉遣いを大事に扱い好む風潮が同人クラスタの全体にありますね。

 

 そこを「定価」でやり抜こうとする意志に驚き、購入いたしました。ちなみにVol.8の定価は500円です。定価ですので、値切られることもありますし、「安い」「高い」と文句言われることもあります。印刷所が「みかんの樹」で、表紙カラーの本文オンデマンドでしょうから、一冊あたり50~100円ぐらいの利益が出ます。もちろん同人誌は印刷代と製本代だけで値段が決まるわけではありません。いろいろな事情があって値段が決まっていますし、参加者や購入者はそれを不問にして飲み込むのがマナーですね。そこを「売り物」として出してしまうと、利益計算されて、やんや言われてもおかしくないということです。冒頭で引用した「一線を画した活動」というものの一環かもしれません。強気でとてもよいです。

 

黒歴史のすすめ」――まさかり伯さん

 前書きのない本誌は、目次を通ってすぐにまさかり伯さんの評論文から始まります。部内でいろいろあるのでしょうが、最初に読むには少し可読性の足りないような印象で、いきなり本を閉じかけてしまいました。テーマ自体が「黒歴史の取り扱い(dealing with)」というネット文化に関するもので興味深く、なんとか読み進めた感じです。

 

小学生が、(おそらく)親の許諾なしに顔をネットの海にばらまいて大丈夫かという問題はまた別の機会に考えるとして、本稿では「黒歴史」という単語に焦点を当てる。(p.5)

 

それがネットスラングであると知ってしまった今からすると、「黒歴史」は広辞苑にもきっと乗っているれっきとした日本語であると思い込み、その使用に全く疑いを持たなかった自分は何とも中学生らしく、思い出すたびに胸にチリッとした痛みと焦燥感を与える。(p.5) 

 

 「小学生が、」の不要な読点や、「広辞苑にも乗っている」「れっきとした」「~してしまった今からすると~自分は中学生らしく~与える」という表現あたりは、声に出して読んでみるとおかしいなと気づけるタイプの読みにくさで、できれば自身で一度ぐらいは推敲するか、人数が多いサークルなので校正部を新設するかなどして、文章を損なわないようにしてもらいたいと願います。

 

 他にも「このエッセイだけを持って提示する」(p.5)のミスや、「人間は何かを残さずには」(p.5)「あなたの黒歴史はなにか」(p.6)「いったい何のために」(p.6)「なにかエピソードを思い出し」(p.6)「何となく一般的に共有されているような」(p.6)の表記揺れなど、冒頭から気になるところはいくつかありますが、注釈の使いかたも微妙に分からず、「同人用語の基礎知識」のことは「あるネットスラング解説サイト」と書いて注釈に誘導しているのに、著者が運動会の是非を先生に聞いて回った黒歴史について補足的に、

 

たとえば、私の卒業文集の中で紹介された、「運動会っていったい何のためにあるのでしょう、納得できる答えがもらえるまで私はこの活動をやめません!」と学年中の先生に聞いて回ったという黒歴史は「点」である(運動会で活躍するような生徒がやれば、かっこいいライトノベルの主人公のような行動だったかもしれないが、学年リレーの何番走者に配置したら一番邪魔にならないか、という話し合いを持たれる生徒がやってもみじめなだけである)。p.6 

 

と書かれているところは本当に文章が長いし、読んでいて面白いわけでもないので、脚注なり注釈なりに放り込んでくれたほうがありがたいです。またこの直後に「たとえば」で具体例が連続するのも冗長で、飛ばし読みしてしまいました。同じく注釈問題として、

 

いくら小学五年生が作った黒魔術ノート(当時読んでいた小説から、汎用性の高そうな黒魔術の呪文と効果を抜書きしたポケットサイズのノート、保管場所はタンスの引き出しの底)が他人からみて黒歴史的であろうとも、作った張本人である私が「あれはなかなかいい出来だったぞ」と思っているうちは、絶対に黒歴史ではない。(p.6-7) 

 

もかなりきついです。どうしても入れなければいけない注釈なら、後ろに持っていってほしいと思いました。それと細かい点なのですが、

 

小学生が、(おそらく)親の許諾なしに顔をネットの海にばらまいて大丈夫かという問題はまた別の機会に考えるとして、本稿では「黒歴史」という単語に焦点を当てる。(p.5)

 

たとえば、私の卒業文集の中で紹介された、「運動会っていったい何のためにあるのでしょう、納得できる答えがもらえるまで私はこの活動をやめません!」と学年中の先生に聞いて回ったという黒歴史は「点」である(運動会で活躍するような生徒がやれば、かっこいいライトノベルの主人公のような行動だったかもしれないが、学年リレーの何番走者に配置したら一番邪魔にならないか、という話し合いを持たれる生徒がやってもみじめなだけである)。p.6

 

ここからは推測になるが、そこにあるのはそれぞれの投稿者児童に対する「悪意」や「憎悪」ではなく、視聴者に集団的に起こる黒歴史の想起であるように思われる。児童の投稿した動画を見て、(…)p.7

 

 このあたりの「小学生」「生徒」「児童」などの表現がブレていて、気になりました。生徒というのは中学生のことで、児童というのは小学生のことなのですが、ここでは全て小学生という意味で使われていて、わざわざ意味の異なるところに言い換える必要はあるのかな、と感じました。

 

 特に一章の「1、点」は、結局長い文章を読まされる割に、『同人用語の基礎知識』の定義を延々と説明されていただけで、じぶんのことばがなく、もう少しモタつかずに進めてもよかったと思います。

 

 他にも「中/なか」「持つ/もつ」「付ける/つける」などの揺れや、鉤括弧が段落頭にきたときの字下げ処理の抜けなどがありますが、無視して進むと、

 

それ[馬鹿にされて萎縮することで表現の不要な自己検閲をしてしまうこと]を防ぐためには、一人一人が、「あのエピソード、あの期間は自分自身が恥ずかしがっているからこそ黒歴史であり、自分さえ納得してしまえば、なにも恐れることはないのだ」と、晴れ晴れとした顔で生活すればいいのだ。(…)逆に、誰かが心えぐられる覚悟で出した黒歴史は、盛大に笑ってあげるのが思いやりである。誰かに指摘される前に、自分で指摘して笑ってしまうことを、痛々しくも現実的な「黒歴史のすすめ」としたい。(p.10) 

 

という再定義が行われます。黒歴史に客観性なんていらず、主観的に決めるものだという排除と区画整理を行うことで、黒歴史に怯えて過去を無視したり、表現を自重してしまうひとたちへ力強いメッセージを送ります。

 

 評論の前提を積み重ねていくタイプのエッセイというよりか、出し惜しみ(書きながら考える)タイプの文章だと感じます。テーマや着地点はかなり面白いので、もっと文章がよければさらによかった思いました。

 

「線を引きたかった話 誰を配慮しなくてもよくて、誰を配慮しなくてはならないのか」――人見灯さん

 タイトルを読んでわくわくしていたら、(人見さんの他のページではできているのに)いきなり一行目から鉤括弧の処理が抜けていて、ズッコケました。本誌全体を通して、処理されていたりされていなかったりで、逆に読みにくくなっています。文章を損なわないために、1マス下げるのか、2マス目を揃えるのか、どちらかに統一したほうがよいと思います。

 

 気を取り直して一文目。

 

「道徳的地位」の標識を与えるということがしたい。(p.12) 

 

 出し惜しみのない感じが、読者のことをわかっている感じでとてもよいです。「何/なに」や「作り出す/見つけだす」などの表記の揺れを無視しながら、やはり興味深い問いが続きます。

 

シャープペンシルの芯の幸福の総量を考えて何になるのか僕にはわからないし、カッターナイフの替えの刃の基本的諸自由とかいわれてもよくわからない。わからないが、しかし、ただわからないといっているのではよくないのではないかという感覚がある。どうしてそれを考えなくてもよいのだろうか。それがわからないままでいいのだろうか。(p.12)

 

 見事な停止に感動しました。社会学とか経済学がわからなくても、ここで立ち止まらなければならないんだ、というのが感覚的にわかるように書かれていて、嬉しくなります。

 

そしてこう答えてみたい:「人間であること」が道徳的地位の標識である理由は、自分が道徳的地位から締め出されてしまっているとき、「人間」だけが、「抗議の声を上げる」ことができるということにある。(p.15)

 

やっぱり、「抗議の声が上がること」なんていう物騒で暴力的な理由ではないような理由で線が引かれるべきだった。(…)いまのこの社会のこのありかたは、他でもありえたのではないか。この感覚が、どんな意味でも、道徳的配慮というものの出発点にあってそれを方向づけているべきであるように思う。そんなことが、同語反復から離れて、感覚や社会通念の相対性から脱け出たところでどうやって可能なのかはわからないが、でも可能であるような気もする。でもわからない、(p.17)[文末の読点ママ] 

 

 着地点というよりは、着眼点がとても好きです。読ませる文章もとてもよいです。

 

「年代・時代・価値観 現代社会における著者の在り方とそれを取り巻く環境についての『論なき論』」――菱田昂さん

いい意味でも悪い意味でも、昔の日本は寛容だった。あまりに早すぎる成長の中で、取捨選択というシステムが機能不全に陥っていたのかもしれない。とにかく、すべてを巻き込んで社会を形作ろうという流れがそこにはあった。そこには表も裏も入り混じっていて、公害などはその"裏"に該当する。そうした"裏"はかなり危険を孕んでいるので、人々はそれが判り次第放逐しようとする。少しずつ"裏"の面が消滅していくと、社会全体の規模が小さくなるので成長も穏やかになる。(p.19-20) 

 

 このアイデアを用いて、年功序列や、それが生み出した社会などについて斬っている、というところまではよかったのですが、基本的に俯瞰の位置から語っていて、それがほとんど失敗しているため、読んでいてなにかを得られたりすることなどはありませんでした。特に読んでいて残念だったところを挙げるとすれば、

 

それだけ若年層と壮年層の間に認識のズレが生じているからである。私の目から見ても、あまりものを考えない若者というのは非常に多くなった(と言っても、私は昔のことをよくは知らないが)。「常識が無い」こともそれには大きく関係しているだろう。ここでの「常識が無い」は「若者の常識が不足していること」と「常識の定義が薄れていきていること」を示したい。まずは前者、常識の欠如について話していこう。おそらく壮年層以上の方々は、大半が「若者がバカになっているから低年齢層による犯罪が凶悪化或いは増加するのだろう」とお考えであろう。私から言わせて貰えば、前半は正解だが後半は不正解だ。「バカな若者が増えている」これに関しては言うまでもない。私としても恥ずかしいところだが。厳密に言えば「知識も欠如している」し「興味関心もない」のでどうしようもない。TV番組などで取り沙汰される「無知層」は編集され選別された(無知の中でも無知)ものであるため、一概にあそこを基準にされては我々も困るのだが、一般常識としての「知識」を持っていない人間は若者の中に一定数いるだろう。同年代と話をしていても、当然の話が通用しないことがままあって混乱する。(p.21) 

 

 このあたりでしょう。頑張って逃れようとしているけれど、この文章も「世間知らずな若者」の域だと言えます。自己言及しているフリをしてことごとく自己言及を免れようとしている文章で、そのせいでこれだけ長い文章なのに何ひとつアイデアを書けていません。ゆっくり読めば誰でも気づきますが、それがバレてしまっている典型的な駄文に思えます。一般的な批判語で言えば、「この文章を書くにはまだ早かった」というところです。あるいは「試みは評価したい」です。アイデア自体はよかったので、自身のプライドをなくして、自己言及しながら書いたものを読みたいですね。私が本誌の編集だったら、そういう文章へのリライトを要求いたします。

 

「文学研究を全く知らない者による自己言及的な文章」――雲雀さん

 狭いタイプの二段組なので、がんばって改行してもらいたいです。本人のなかではつながっているのかもしれませんが、ここも編集あたりが「読みにくいよ」と言ってあげてもよいのではないかと感じました。文章力自体はそこそこあるように感じましたが、批評本ではなくはてなブログで読みたい内容でした。

 

「君としたい探す夏」――松木良さん

 本誌をはじめから読んだひとは、絶対に「またセリフから始まる文章か」とだるくなったと思います。巻頭に『黒歴史決定だな(笑)』で始まる評論があって、それの再演に見えます。その時点で、読む気がかなり失せますね。ここでは「裏山に、死体を隠したんだ」を独立させて、印象的なセリフであるかのように書いてあるのですが、ややお腹いっぱいな感じです。なによりそのあとが辛く、

 

幼なじみの神埼くんという人は、真面目で、努力家で、勉強がよくできて、曲がったことは大嫌いで、ないよりも誠実さを好んで、行儀がよくって、自分に厳しい人だった。(p.29) 

 

というなんの面白味もない「キャラクター説明文」が始まります。説明文に対して7回も「あっそ」と言わねばならない苦しさを、おそらく経験したことがない人物が書いているのだと思いますが、小説を書くなら小説を読んでからにしてもらいたいな、と感じました。我慢して進むと、ようやく小説らしい「描写」が入ります。

 

第一ボタンまでぴったりと留められたカッターシャツには、いつ見たって皺ひとつなかった。細身の体が常に持ち歩くのは、参考書に教科書にノートがこれでもかと詰め込まれたスクールバッグで、よく肩を壊さないものだと関心していた。どんなにつまらない授業でも、はたまたどんなに眠たい授業でも、彼は背筋をぴんと伸ばして、ペンを動かしていた。(p.29) 

 

 まあ、こういうのが何行も続きますが、それなら最初の「説明文」は要らなかったし、この描写部分も同じことの繰り返しで飽きます。「細身の体」も強調したいのはわかりますが、気持ち悪い二重表現なので「細い体」とかにして欲しかったなと感じました。さらに本当に小説を書くなら「細い」という説明文も使わないほうがよいでしょう。細いことをどのように表現するかが肝心なのに、「主人公は細かった」と書くのは、「主人公は孤独だった」とか、「主人公は世界を守った」と書いちゃうくらいおかしいことで、そのあたりの小説の基礎みたいなものを見なおしていただけたら読めるかなと思いました。あとセリフに「……」が多くて読めませんでした。すみません。

 

「ボクだけの家族」――奴隷人生さん

 こういう「物語」のセンスと、それをさらっと書きだすだけの文章力、それを見せつけながら淡々と進んでいく「成敗」の物語。大人にお仕置きしながら、やはり大人の言葉で動いていることに気づいていないあたりが、大人の私にも刺さってくる深読みしがいのある暗示的なストーリーでした。

 

 まあ「不自由」とか「我が物顔」とか「感慨深い」とか「纏う」とか子どもに似合わない表現が入ってきて、著者が「ボク」に介入してしまったところや、先生の胸の大きさを強調しているところなど細かいところで違和感はあるものの、全体的に読みやすく書かれておりました。現代演劇のような、テーマを最後に置き去りにするところなども個人的に好きです。

 

「マグロと戦車とネギトロ丼」――大和さん

 異論はあるかもしれませんが、「~した。」が延々と続くので、間延びします。プロットを進めるのに一生懸命で、もう少し小説に余白があれば、よりうまく書けたかな、という気がしました。人見さんのときもそうだったのですが、地の文の「……」に句点がないのが本当に違和感で、かなり気持ち悪くなります。セリフ内に「?」だけ入れてもセリフにならないので、その「?」を地の文でどうにか書きたいところです。

 

 アイデア自体は面白いのですが、この文量でやるにはワンアイデアでは間延びしますし、プロットを進めようと説明口調になって退屈になります。セリフに魅力的なものがあればよいのですが、セリフも物語を進めるための機能になっていて、そのあたりにひとつづつ工夫が入れば一気によくなりそうだな、と感じました。

 

 それと人によって入っている、終わりを表す〈了〉というのが、それを書かなくても済むようにならないのだろうか、と疑問です。本文を損なってしまうので、できるだけ書かずに分かるほうがよいと思います。

 

「ホールアウト」――葛城蓮士さん

 俳句の一連十二作です。今風の俳句を作りたかったのでしょうけれど、わざわざ自由律にしている理由のようなものがまったく伺えず、なんか微妙な雰囲気でした。ただ私がカレー好きというのもあって、

 

秋の山マグマの如くカレー盛る (p.55) 

 

は風景の出方がとてもよかったです。

 

「ファッションを考える」――編集部企画

・ファッションにおける「差異と同一化」の考察――タンタルさん

 

 まあ、現代思想の言葉でふわっと書いたファッション雑感という感じで、なにか考察になっているかというと、別になっていないな、という感じでした。字数に対して引用が多くなりすぎて、衒学的な雰囲気は出せていますが、引用回収に忙しくなって、著者が亡霊化してしまっているのが惜しいです。あとルビの部分で行がズレているの、誰も気づかなかったんですかね。ルビ自体も「ミメーティック」ではなくて、「ミメーテイツク」と振ったほうがよいと思うのですが、あまりそういう編集上の原則みたいなものには興味ないのかな、という全体の印象です。

 

・何故ファッションにお金を投ずるのか――雪猫さん

 

 調べて書いたんだろうな、という感じで微笑ましいですが、じぶんの言葉になっていないので「漏れ書いた」ようになっていて、改行もできていません。かなり書けるかただと思うので、そこが惜しかったです。

 

・いつかあなたに『ar』を説明したいので読んでください――てんかさん

 

 調べた感じは同じです。改行もがんばりたいですね。「おフェロ」「雌ガール」知りませんでした。勉強になります。p.61の鉤括弧字下げ処理ができていなくて、少し残念でした。

 

・研究ノート ファッションから見たメンヘラのイメージ――雲雀さん

 

 やりたいことは一番わかりましたが、NAVERまとめを文章化したような感じで、メンヘラについての理解を望んでいるような感じはありませんでした。メンヘラを「題材にしたい」のであって、その理解への熱情は特になく、このままではずっとメンヘラのことを「分析だけ」して満足してしまうような気がしました。

 

美少女ゲームにおけるファッション――Charlesさん

 

 短く出ましたが、私服と制服に関する立ち絵とリアリティの話が興味深かったです。ぜひもっと長い論考を読みたい、と思いました。

 

・ファッションするカラオケ――銀粘土さん

 

 いちいちブリタニカから始める意味はあるのか、という疑問でまず止まります。なんでもかんでも広辞苑や事典に冒頭を頼る風潮は、ここにもあるか、と。

 

・仮病――人見灯さん

 

 これを読んで買いました。引用します。

 

解熱して咳を止めて健康を装えばいい。梳ればいい。ドレスコードが伝染するという話があった、感染するといってもいいかもしれない。模倣と差異化と模倣ということもある。帰ってきてみて思ったのは、大したことではなかったということだった。着たいものと着たくないものがあるということが大切な人と大切でない人がいる。どこでもらってきたのか、いつのまにか知ってしまっていて、知らなかったらどうだったかなんて考えることもできない。でも考えて、装わなければどうにもならないこともある。引きたくなかった風邪を引いたということだった。(p.68-69)

 

 ここだけで二回ほど唸りました。小説としても通用しそうな自然な語り口が染みこんでくるのも、またよいです。

 

・シュガージンジャー――青島透さん

 

 また独立したセリフから始まります。本誌三回目、さすがにネタなのかと思い始めました。セリフの流しかたはよく取材されているものでうまいですが、どうも地の文が説明に偏ってしまって、最悪なくてもいいのではないかとさえ思いました。会話だけでも豊富に成り立っている感じなので、地の文を入れるならもう少し退屈にならない間のとりかたを工夫してほしかったです。セリフは生きていてすごくよかったです。

 

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 書いていたら、ここはこうして欲しかった、みたいなつまらない要望ばかりになってしまいましたが、「読んだんだな」と伝わったと存じます。人数が多かったので大変でしたが、じぶんとしても「読みたかった同人誌をちゃんと読めた」ので嬉しかったです。「文芸批評研究会」のサークル誌はこれからも買い続けたいと思います。

 

 それと、編集さんが変わったのでしょうか、文芸批評研究会のブログが読みにくかったです。赤とか青とかピンクとかをカラフルに使って、文字の大きさも頻繁に変えて、可読性が下がっておりました。十年前の中学生のブログみたいで、以前のような落ち着いたもののほうがよいのでは、と感じました。