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本質的にちくらぎ

文芸サークル「本質的にちくらぎ」のページです!

わかりやすさを求める原稿のとても困るところ(L)

 こんにちは、編集のらららぎ(@lalalagi_chatte)です。本日は「わかりやすさ」を求める原稿(あるいは「わかりやすさ」を訴えた原稿)の困る点を取り上げたいと思います。一概には言えないことなので絶対的なルールではありませんが、「わかりやすさ」を一芸的に求めているかたはご参考にしてくださいませ。はなから「わかりやすさ」など諦めていたり、興味をもっていない著者のかたにはほとんど関係ない話に終始いたしますので、お気をつけくださいませ。

 

 

 

 わかりやすさは紛れもなく価値として認識されています。文章を書くうえで、わかりやすいこと以上にクリアな価値ってあるのでしょう、と首を傾いでしまうほどですよね。どんな文章読本にも「まずはわかりやすいこと」のような指南が載っております。

 

 わかりやすさというのは、誰にでもわかることばで書かれ、明瞭な結論を先にもってきたり、要点だけを線条的につなげたり、具体例を豊富にあげたり、具体的な数字・データを参照したり、卑近なロジックの類推をしたり、ウェットな表現を省いたり、図によって外化したりすることです。そういう数々の工夫によって「わかりやすさ」が生み出されているわけですね。

 

 ただ、これらは「手軽に書かれた」だけであって、わかるかわからないかにとって重要なことではありません。

 

 わかりやすいかどうかは、説明する側(書く側/教える側)が判断することではないということをまず理解していただきたいのです。加えて「わかりやすさ」を求めているひとというのは、文章上のロジカルで省エネで手軽な工夫ではなく「わかることが書かれること」を望んでいます。

 

 つまり、わかりやすい文章のターゲットは、「わかることが書かれていなければならないひと」のことであって、そこを想定しながら文章を造り上げなければならないということです。それが想像できるでしょうか。あるいは、みなさんの書いた「わかりやすい」文章は、そこに到達していると言えるでしょうか。

 

 この案件は非常に厄介です。わかることが書かれていなければならないひとのために、「え、そんなところから説明しなきゃいけないの」というところを何度も反復しなければならないのです。たとえば、犬を飼うということをわかりやすく(わかるように)説明したり、教えたりするために、まずは何からはじめるべきだと思いますか?

 

 「購入可能・引取可能な犬が集められている場所」でしょうか。そんなところ、からはじめるのさえプライドが許さないひともいますよね。そういうひとはついつい「餌のやりかた」とか「しつけのしかた」「散歩のマナー」「種類のちがい」からはじめてしまいます。それでは困るのです。

 

 もっと基本的で、初歩的で、「そんなところから」と言ってしまいたくなるところ――つまり「自宅がペット飼育可能環境か」とか「犬を飼うというイメージと現実のギャップ」とか――からはじめないといけませんね。あるいはもっと踏ん張って「お金や時間かかりますよ」とか、「成長しますよ」とか、「おしっこしますよ」とか、「吠えますよ」とか、「犬だって体調崩しますよ」とか、当たり前の心構えについて確認するべきでしょう。

 

 わかることが書かれている、ということは、こういうところからくどくどと説明されているということです。結論から書いてある(「あなたは犬を飼うべきではない!」)とか、要点だけ書いてある(「金と時間があって、成長と健康管理、しつけやマナーなど理解できればOK!」)とか、そういうことではないんですね。

 

 それはどんな文章でも同じことです。特に「わかりやすく書きたい」と思っているかたは、だれかになにかを教えたい・説明したい・わかってもらいたいわけですから、犬の飼いかたを「わかるように」教えるのと大差ありません。それを意識してもらいたいのですね。

 

 「これらのことは私にとっては常識なので、ここから説明しますと」という教える側のプライドは不要です。邪魔です。障害です。読んでいて不愉快です。申し訳ありませんが、リライトの要請をすることがあります。再提出で直らない場合は、原稿を受け取らないこともあります。悪口を書いているわけではなくて、わかりやすく書きたいならわかるように書いてもらいたい、とお願いしているわけですね。

 

 犬についてわかりやすく書くなら、「犬って実は成長するし、おしっこするんですよ」というところ、あるいは「飼うには環境が必要なんですよ、お金が必要なんですよ」「ペットショップという場所があるんですよ、シェルターというところがあるんですよ」「実は種類がたくさんあるんですよ」というところからしっかり、省かず、飛ばさず、当たり前でしょという雰囲気をいちいち出さず、真剣に書き込んでもらいたいのです。

 

 ウェブ記事・参考書・学習書にありがちな「わかりやすい」原稿の最大の弱みは、「これさえわかれば大丈夫」というテンションで書かれることです。もちろんその「これさえ」にちょうどよく乗っかれたひとは絶賛するわけですが、ほんとうにわからないひとというのは「これさえ」にさえ乗れません

 

 もし「これさえわかれば」という書きかたをしたいのであれば、「これさえわかればだいじょうぶ、でもわからなかった場合はこっちからわかるとよくて、それでもだめだならこれもわかろう」と書かねばならなくなって、逆に読みにくくなりますよね。

 

 編集側からお願いしたいことは、「わかりやすさ」を求めるのであれば、教える側のプライドを捨てて、丸出しのエゴを控えて、徹底的に「わかるところ」から書いてもらいたい、ということです。文章上の創意工夫にこだわりすぎて、なにを書けばいいか、というところを見失わないでもらいたいのです。もしそれがむずかしいのであれば――徹底することは実際かなりむずかしいことです――、「わかりやすく書いてやろう」などという気持ちにしばられないで自由に書いてもらいたいと願います。

 

 『あみめでぃあ』では、それぞれの狙っているもの、それぞれにとって文章価値のあることを、それぞれが徹底してほしいのですね。抽象的な概念を転がしたいなら、それに徹底してもらいたいし、豊富な具体例を取り揃えたいならそれに徹底してほしい――そういう過剰性を価値へと転換する一芸(芸風)を取り込んでほしいわけです。もちろん初めて書くひとがプロのように、というわけにはいかないでしょうけれど、徹底しようとした痕跡をしっかりつけておいてほしい、小綺麗なまままとまらないでもらいたい。そういう願いを強く持っております。

 

 そのために編集も校正も、できるかぎりの手を貸します。その準備はいつでもできております。いつでもお声かけくださいね。