本質的にちくらぎ

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編集者まえがき完成&全文公開――「共犯しよう、そうしよう」(L)

 あけましておめでとうございます。お久しぶりです。編集のらららぎ(@lalalagi_chatte)です。五月の東京文フリで頒布する『あみめでぃあ vol.4』のまえがきが完成しました。誌長のまえがきも完成したら、PDF版・PDF高画質画像版も作る予定ですので、そちらもよろしくお願いいたします。

 

 毎度のことですが全文を先行公開します。分厚くてなかなか立ち読みで購入しにくい評論同人誌ですが、せめてまえがきで雰囲気でも伝わればさいわいです。

 

まえがき「共犯しよう、そうしよう」(らららぎ)  

 

 概念との決着、あるいは概念に向き直すことは、個人による個人のための案件だと思われてきました。あえて主語の面積を大きくして語るのならば、人類はこれまでたくさんの概念と向き合い、倒し倒され、戯れ可愛がり、ときには癒着して参りました。

 

 その歴史ある個人戦をリードするのは偉大な個人であり、一箇の天才的存在だったことでしょう。存在とはなにかを問うたり、近代とはなにかを問うたり、幸福とはなにかを問うてきたわけでございます。ただ、それらはどれも出来すぎているがために深遠で、うますぎるがために難解です。彼らの個人戦の結果はすべて彼らの個人的な人生に着陸し、その人生への理解がなくてはなにも意味をなさなくなっております。「我思う故に我あり」とか、「存在は時間性である」とか、「モナドに窓はない」とか、「愛されるものが愛するものを動かす」とか、「心とは傾向性である」とか、そういう命題を記憶したところで、その人生を理解していなければ使い物にならないのです。知識や知恵をガラクタ同然のように扱い、そのうちホコリまみれにしてしまうような贅沢人間になってしまうということなのです。

 

 だから、私たちは、同人誌を打ち立てました。概念集を作ろうと思いました。一介の学生が、一介の社会人が、一介のニートが、じぶんの好きな概念、肝心な概念に立ち向かって打ちのめされて、敗走しながら辛抱強く粘っていて、圧倒されながら食い下がっていて、その熱性の、あるいは絶体絶命のかがやきをひとつの「糸」として、同人という空間に提出します。

 

 その糸がひとつひとつ編まれてゆき、いつか模様が浮かんでくる――つまり、複数で模様を作るのです。だれかと一緒に編むのです。だれかのためにじぶんの糸を寄越してやるのです。私たちはそうやって、全員で概念と向き合ってゆくと決心します。

 

 旗をあげれば、きっとだれかがついてきてくれるもの。未完を書いたり、不出来を読んだり、そのなかで共に考えたり――。著者も読者も考えることを「共謀」していて、概念と向き合うことを「共犯」しております。

 

 受験のように合格争いしなくてよくて、会社のように出世争いしなくてよくて、いいからとにかく糸を「シェア」してもらいたい。書いたら書いたものを教えてほしくて、読んだら読んだことを聞かせてほしい。私たちはそれを編みます。しっかり編みます。その結果が、哲学的に立派な「集合知」にならなくてもいい。きっと必ず私たちにとって確かな「共謀知」になって、私たちにとって愉快な「共犯知」になるのです。

 

 それで不十分なことはありませんね。共犯的に編まれた概念の束が、みんなのなかに力強く存在し続けるのです。論文でもいい、批評でもいい、小説でもいい、散文でもいい、短詩でもいい、漫画でもいい、イラストでもいい。とにかく刻むこと。同人の、そのかかげられた旗の先に自己の軌跡を刻むこと。それは共犯で構いません。むしろ意図して共犯するのです。