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本質的にちくらぎ

文芸サークル「本質的にちくらぎ」のページです!

校正のボランティア――同人誌をもっと読みやすくしてみませんか!?(L)

 どうも、編集のらららぎです。今日は「校正」について軽く解説し、私が校正のボランティアをやっているよという紹介をしたいと思います。テキスト系の同人誌をやっているかたには損させません。ぜひお付き合いくださいませ。

 

 テキスト系の同人誌を作るにあたって、まず大事なのは「原稿」ですよね。ひとりでやるもよし、仲間とやるもよし。後者のかたが多いかな(?)という印象です。何本かの原稿があがり、編集と呼ばれるかたが「組版」(くみはん)をしてゆきます。

 

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Adobe Indesign CS5.5――組版画面)

 

 この画面に見覚えのあるかたが多いと存じます。組版というのは、原稿を実際の形として落としこむ作業のことです。組版という名前は活版印刷時代の名残でしょうね。

 

 これを「編集者」と呼ばれるかたがやります。うちの『あみめでぃあ』でいうところの私です。ひたすら組んで組んで組んで、原稿の形を完成させます。組版が終わり、PDFにするとこのような感じになります。

 

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 ようやく本っぽくなってきましたね。上の左右にインデックスが入っていて、下の左右にはノンブル(ページ数)がついております。本は見開きの真ん中が読みにくいので、小口(本の外側)を狭く、ノド(本の真ん中側)を広めにするのが基本です。

 

 ようやく原稿が完成し、今度は「印刷所」に提出するか、「自作」でやるかを選ぶことになりますね。印刷所はたくさんあって、それぞれの個性があります。『あみめでぃあ』は、毎回「有限会社ねこのしっぽ」さんにお願いしております。イラスト系同人誌に強いのですが、同人誌そのものへの愛を強く感じ、いつもお世話になっております。

 

 その他にも京都にある「ちょ古っ都製本工房」さんや、「ポプルス」さんなどが有名ですよね。いま手元にあるテキスト系の同人誌を見てみたら――本の最後のページの「奥付」を見ると分かります――『率 vol.7』(丸正インキ)、『えふ vol.10』(ポプルス)、『アニクリ vol.2』(みかんの樹)、『かこけん vol.3』(ポプルス)、『うたらば総集編Ⅱ』(ウエーブ)、『東洋迷理 vol.4』(キンコーズ)、『誰にもわからない短歌入門』(ポプルス)、『マージナリア vol.4』(ちょ古っ都製本工房)、『スキーム vol.14』(ポプルス)、『アイドル領域 vol.6』(しまや出版)、『サークルクラッシュ同好会 vol.4』(ブロス)、『高校生にもわかるといいなとてもやさしいトポロジーのおはなし』(手作り)、『文/芸 vol.8』(みかんの樹)、『日常想像研究所 vol.2』(ブロス)といった様子でした。明らかにポプルスさんが多いですね。

 

 印刷所では、部数や表紙や本文の紙を選んだり、製版するかどうかを選びます。ここで大事なのは「製版」です。製版することを「オフセット」、しないことを「オンデマンド」と呼びますが、これはしたほうがいいに決まっています。

 

 製版というのは、データ化されている原稿を、紙の上に再現するために色などを最終調整する作業のことを言いますね。イラスト系ではなくテキスト系でもやるべきなのか、と疑問に思うかたもいると存じます。やってみるとわかると思うのですが、結構な違いが出ます。文字の「ハネ」「ハライ」の部分であったり、画数の多いつぶれがちな文字など綺麗に印刷されるはずです。ただ、オフセットは料金が「少部数」の場合は高いですから。うちではオンデマンドを利用しております。

 

 製版(オフセット)は、版を作る作業があるため、人件費などたくさんかかりますが、いちど版を作ってしまえば高速で綺麗に刷れるため、大部数を刷るとき逆に安く済みます。それに対してオンデマンド(版無し)は、家にあるプリンターと同じように一枚一枚印刷してゆきますから、何枚であろうと変わらず加算され、刷れば刷るほどオフセットよりも高くなってゆきます。部数によってコストの変化するオフセットと、部数の影響を受けないオンデマンド、どちらを選ぶかはそのときですよね。

 

 話が長くなりましたが、これでようやく本の形になります。コミケでも文フリでもなんでもよいのですが、イベント会場まで搬入してもらい、売り子としてブースに立つわけです。せっせと並べながら、出来栄えのほうを確認するわけですね。

 

 そこで、おかしなミスに気づきます。

 

 縦書きだから半角英数字が横になっていたり、不必要な改行が入っていたり、不自然に文章が途切れていたり、表記が統一されていなかったり、句点が抜けていたり、そもそもタイトルに誤字があったり……ゾッとします。ゾッとしました。すべて経験談です。

 

 同人誌なんてニッチなもの、ただでさえ読んでもらえないのに、誤字や脱字、完成していない文章、ヘタクソな組版、統一されていなくて負荷になる表記の揺れ、そんなのばかりでは読む気もゼロになってしまいますよね。というか、私はなりますし、そういう気持ちになるかたが一定数いるのは確実です。

 

 だから、同人誌をつくる作業には「校正」が必要なのです。文章を書いたひとがまず最初にじぶんで間違いないか読みなおす「著者校」、受け取った編集さんが校正さんに渡して始まる「初校」、校正者がつけた疑問点やサジェストに応じて変更したり、ママ(そのままにするという意味の校正用語)かどうか決めたりする「ゲラチェック」(試し刷りしたものを確認すること)があり、それを編集さんが正式に「組版」し、できあがったものを校正さんが「再校」するわけです。

 

 ルビを入れたほうがいいか、ルビがまちがってないか、誤った表現、誤解をまねくような表現はないか、表記が揺れてないか、誤字や脱字はないか、意図せず半角になっているところはないか、文章は原稿通りか、物語の設定に矛盾はないか、論旨が崩れていないか、いろいろなことをチェックするのが校正のお仕事です。

 

 まずは、同人誌界ではあまり気にされていない「表記の揺れ」についてです。

 

私にとって「母」は「ママ」であり、もっと言えば「まま」である。しかし「まま」と「まま」は、「はは」と「ハハ」ぐらいの違いがあり、「まま」は「ハハ」よりも[……]

 

 このような文章があったとします。表記のしかたによって、言葉のイメージが変わるということを表現したいのでしょうけれど、この文章から「違和感」を抱くことでしょうね。これは表記が統一できていないのですね。「まま=やわらかい」というイメージなのでしょうけれど、「ままとままは」の部分で変換ミスが起こっています。

 

 変換の癖によって、本当は開く――ひらがなにすることを開くと言います――ところを漢字にしてしまったり、閉じる――漢字にすることを閉じると言います――ところをひらがなにしてしまったりします。

 

 本来であれば、それほど大きく問題にはならないはずなのですが、先ほどの極端な例でわかる通り、表記によって伝わるものが変わってくるという文芸的な前提を台無しにしてしまうわけですね。それがもっと現実的な例として、

 

私は「わたし」である。「わたし」の空間はわたしのなかにあり、また「私」はいつだって「私」であることを余儀なくされているため[……]

 

このようなものがありますね。つまり、主語としての"私"は漢字で閉じて括弧をつけず、あるひとつの存在としての"わたし"はひらがなで開いて括弧をつけて区別したわけです。読書経験が豊富な高校生くらいになると、"私"と"「わたし」"を区別していると教えなくとも理解できるようになります。

 

 それ自体はよいのですが、途中から"私"を強調したくなって「私」と表記してしまっていますね。せめて〈私〉という山括弧でコンセプチュアルにすればよかったのですが、強調=「」というイメージなのでしょうか、「私」はいつだって「私」であることという文章から何も読み取れなくなってしまったわけです。

 

 これでは読むほうに「負荷」がかかってしまいますよね。大好きな作家さんであっても、私は読むのをやめてしまうと思います。

 

 このような負荷が、実は文章の至るところにあるわけです。「妙に長い文」「なかなか主語が明かされない文」「区切られている位置がおかしい文」「息継ぎの少ない文」「閉じすぎていて情報量が詰まりすぎている文」「韻を踏むことで読者のリズムを奪っている文」「括弧が多すぎる文」「表記の揺れによって表現されていることが分からない文」「急に常体(敬語ではない文体)になる文」「不必要に敬体(敬語調)になる文」「意味なく婉曲的な文」「単純にヘタクソな文」「誤字脱字のある文」などなど、読むひとのことを考えたら、どれも事前に解決しておかなければならないことばかりなのです。

 

 それをチェックする「試し読者」みたいな存在が、校正者です。「ここはこれでだいじょうぶか」ということをいちいちチェックしてくれる多重人格読者とでも言えましょう。友だち100人に読んでもらったのと同じぐらいの仕事をするわけですね。

 

 たとえば、たまたま言葉を略したくて「バーテン」と表記したら、「バーテンは今もときどき使用される侮蔑用語――「バーテンダー」と自由人の「フーテン」を合わせた言葉――なのですが、だいじょうぶでしょうか。あるいはこのキャラクターは、侮蔑用語を使うようなキャラではないので、表現をかえたほうがよいかもしれません」となるわけです。頼りになりますよね。

 

 こうやって、ひとつひとつの言葉が検閲され、よりよいテキストになるわけです。よりよいテキストになるわけですから、必然的によりよい同人誌になると思います。少なくとも、読めなくなる要素が減るということは、同人誌にとってとてもよいことだと言えますね。

 

 マンガの同人誌で考えてみるとわかりやすいかもしれません。コマ割りがヘタクソで、次にどっちを読めばいいのか3回に1回ぐらいの頻度で悩むようなマンガを、あなたは読みたいと思うでしょうか。マンガは、内容の善し悪しよりも先に「読めるようになっていること」が欠かせませんよね。それはテキスト系の同人誌の場合でも同じだということです。

 

 それなのに、どうも校正の入っているように思える同人誌は少ないです。ミスはつきものですし、うちの校正さんも見落とすことがありますが、校正という概念を重んじていないところが少ないという印象を受けます。

 

 それを責めるわけではないのですが、せっかくでしたら読みやすいものを読んでいただいて、読了していただいて、感想とかレビューとかいただきたいですよね。だったら、その第一歩は「校正」なんです、ということをお伝えしたくてこの文章を書きました。

 

 そして、うちでは編集担当の私ですが、校正のお勉強もしておりますので、ぜひぜひぜひぜひ、あなたの同人誌の校正をお手伝いさせてください!!!――ということが言いたかったのです。

 

 どうぞ興味ある方がおりましたら、ご連絡くださいませ。原稿を書いて、組版して、猫の手も借りたいかたが多いと存じます。猫の手を借りる気持ちで、お声掛けくださいね。

 

連絡先▶@lalalagi_chatte / @amimedi_A

報酬▶不要

依頼料▶不要

欲を言えば▶献本ください!

 

 それでは。