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本質的にちくらぎ

文芸サークル「本質的にちくらぎ」のページです!

『あみめでぃあ』第6号まえがき先行公開

 お久しぶりです。編集長のらららぎ(@lalalagi_chatte)です。各方面の寄稿ばかりやっており、このブログを後回しにしていたら、いつの間にやら〆切直前でした。やばい、やばい。前回は誌長のちくわさんがまえがきを担当しましたが、今回のまえがきはぼくが担当します。第6号ということなので、まえがきもやや向きを変えて、多少はビジネスライクな話にしました。ぜひ東京文フリでお会いしましょう!

 

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タイトル

なぜあなたは『あみめでぃあ』を購入するのでしょうか
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 ロシア政府が『Безопасное селфи/安全な自撮り』と題した公式の記者会見をひらきました。どうやらロシア・モスクワを中心に、高所での自撮りが流行しているらしいです。その自撮り行為のなかで大けがを負ったり、あるいは死人が出たりしております*1。

В МВД России обеспокоены участившимися случаями, когда человек травмируется или гибнет при попытке сделать уникальное селфи, ведь каждый из них можно было предотвратить. Селфи могут запомниться и удивить и без риска для жизни.
われわれ政府の懸念は、これまでにない自撮りをしようとして怪我したり死亡したりする事故が増えていることです。その事故はどれも防止できるものであり、みずからの命を危険にさらさずとも、記憶に残るような驚くべき自撮りをすることはできます*2。

 愛好家たちは、この危険な自撮りを「ルーフィング」(屋根の上を行くこと)と名付けました。いつもあるものの上に行ってみること、ぐらいの意味合いでしょう。かれらのあいだでは競技化されており、命綱はつけないルールとなっております。それに対して政府は、「安全な自撮り」というレトロニムを強調しました。
 けれどもルーファーたちにとって「安全」に価値はありません。「熱狂できること」とか、「危機をじぶんが統制できること」とか、「フィードバックがあること」とか、「社会にインパクトを与える」といったことに大きな価値があるのでしょう*3。
 どんなことが価値になるのか、というのはもともと心理学から発した問いで、有名なところではマズローの欲求階層でしょう*4。それをもとに発展させたのが、ベイン・アンド・カンパニーの「価値要素のピラミッド」*5です。すこしだけ紹介しましょう。やや意訳しているので、原文を注釈に記しておきます。
 最下層は《機能にかんするもの》となっており、「時間の無駄を減らしてくれる」とか、「簡単にしてくれる」とか、「リスクを減らしてくれる」とか、「大変なことを代わりにやってくれる」とか、「厄介なことを迂回してくれる」とか、「つないでくれる」とか、「いろいろ見せてくれる」とか、「商品がどれだけ良いものかはっきり示してくれる」のような価値が出そろっています。
 次の階層は《感情にかんするもの》とあり、「不安なことを減らしてくれる」とか、「報われたと思わせてくれる」とか、「つなげてくれる」とか、「価値のしるしになってくれる」とか、「健康」とか、「郷愁」とかがあります。
 さらに上には《人生を変えること》の階層が出てきます。「希望を与えてくれる」、「なりたいじぶんにならせてくれる」、「がんばるためのなにかになってくれる」、「ずっと継がれてくれる」、「縁と所属を感じさせてくれる」の五つ。最後の頂点は《社会の共有を生み出すこと》の階層に「自己超越」のみが置かれています。
 価値というのは、そこそこわかりやすい。どの業界でも「良いものかどうかはっきりしていること」(quality)が売る際の最重要価値となる。問題は次点の価値で、たとえばアパレル業界であれば「いろいろ見せてくれること」がくる。保険業界だったら「不安の軽減」。スマートフォンでしたらなんでしょう……「大変なことを代わりにやってくれる」とかでしょうか。私なんかだと「つなげてくれる」を求めてしまいますが。
 あなたは、同人誌というものに、あるいは評論だの考察だの随筆だのの文章に、あるいはそれがひとつのテーマでまとまった一冊に、あるいはこの『あみめでぃあ』に、その表紙に、目次に、内容に、奥付に、どんな価値を求めるでしょうか。これまで頒布してきた五冊は、不安を軽減していますか? 厄介事をどうにかしたでしょうか? なにかを簡単にしていますか? いろいろ見せることができていましたか? あなたが解決したいことに対応したソリューションとなっているでしょうか?
 私たちがここに記した概念語りを読んでも、正しいことはなにも書かれていないでしょう。正確性とか報道性のような価値を盛り込むことはできませんでした。私どもが書き出せたことは、すべて確認なのです。すり合わせの予行練習のような、ひたすら「確認したかったのかさえもわからないことの確認」を繰り返します。
 「安全な自撮り」と「高所セルフィー」のあわいで、そのあわいがあるのかないのかさえわからないようなあやふやな感覚で、自撮りとはなんだったのかを確認し続ける旅路。それぞれの価値を問い直してみる手続き。それは孤独な作業だから、みんなで継いでゆくこと。そういうところに価値を置いたつもりです。その一仕事のなかに、読者のかたがなにか価値を新しく発見するかもしれません。
 『あみめでぃあ』を作る側にとって、この本をビジネスライクに規定するなら、ひとつの概念カタログになってゆけばいいと思っております。つまり読者のほうで概念を雇ってもらうということです。あるいはいま雇っている概念を解雇するためのガイドブックともいえるでしょうか。
 現実的な些事は些細なことが中心ですが、なかには重大なもの、突発的なもの、定期的なものなどもあると思います。その数パーセントのイレギュラーを、どのような考えかたで把握するのかを考え直す機会になったらうれしいです。〈どんなことでもおなじように〉というのは、やや見下した発想といいますか、変更や対応のめんどうくささから問題を勝手に値引いてしまっているかもしれません。些事ごとに、あるいは問題ごとに、考えかたを把握し直す出発点に、この本があったらと思うんです。
 それをもっと積極的な表現で言ってしまえば、『あみめでぃあ』を手に入れることや読むことで、「私は新しいことを試す準備ができた!」と思ってもらえたらいちばんのしあわせなのかもしれません。あなたの悪戦苦闘のかたわらに、私たちが居られたらいいなあと思うんです。
 もしかすると、聖書のイメージに近いのかもしれません。そこに記してあることがいつだって正しいわけではない――なんなら正しいことのほうが珍しい――けれど、そのおかげで現実のなにかとすり合わせることができるような指摘と確認。過程と教訓。励ましと手続き。ことばはなんでもよいですが、概念をこういう風に雇ってみてもいいんじゃないでしょうかとか、こんな概念だったら解雇してみてはいかがでしょうかといったほとんど不正解で無内容なことを、堂々と《免責》で言ってみること、書いてみることで、みなさんの確認の一助になれるのだと思います。

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*1:モスクワの未成年落下事故が、2014年に48件、2015年に25件発生。

*2:https://xn--b1aew.xn--p1ai/safety_selfie

*3:チクセミントハイ『Flow: The Psychology of Optimal Experience.』より。

*4:マズローは論文のなかで「階層的」と言っただけで、実際に(かの有名な)階層図にしたわけではない。

*5:Bain and Campany”Elements of Value Pylamid”(2016)《機能にかんするもの》(functional)――時間の無駄を減らしてくれる(saves times)、簡単にしてくれる(simplifies)、リスクを減らしてくれる(reduces risk)、大変なことを代わりにやってくれる(reduces effort)、費用を減らしてくれる(reduces cost)、不厄介なことを迂回してくれる(avoids hassles)、儲けさせてくれる(makes money)、ことばじゃなく感じさせてくれる(sensory appeal)、整理整頓してくれる(organizes)、ひとつにまとめてくれる(integrates)、つないでくれる(connects)、報せてくれる(imforms)、商品がどれほど良いものなのかはっきり示してくれる(quality)、いろいろ見せてくれる(variety)。《感情にかんするもの》(emotional)――不安なことを減らしてくれる(reduces anxiety)、報われたと思わせてくれる(rewards me)、目的を可能にしてくれる(provides access)、価値のしるしになってくれる(badges value)、郷愁を誘ってくれる(nostalgia)、健康に与えてくれる(welness)、癒やしになってくれる(therapuic value)、たのしませてくれる(fun / entertainment)、追いかけさせてくれる(attractiveness)、デザイン的・美的な趣味を抱かせてくれる(design / aesthetics)。《人生を変えること》(life changing)――希望を与えてくれる(provides hope)、なりたいじぶんにならせてくれる(self-actualization)、がんばるためのなにかになってくれる(motivation)、ずっと継がれてくれる(heirloom)、縁と所属を感じさせてくれる(affiliation and belongings)。《社会の共有価値を生み出すこと》――自己超越(self-transcendence)。論文内画像のURL→http://www.bain.com/Images/elements-of-value-interactive-530.gif

『あみめでぃあ』を書きたいひとのための文章講座

・はじめに

 はじめまして、編集長のらららぎです。


 このたびは文芸誌『あみめでぃあ』に興味を持っていただき、ありがとうございます。大変うれしいです。

 

 企画書にもある通り、私たちは概念を編んでいます。そしてそれがなにかよくわかっておりません。むしろそれが知りたくて、書き続けているのかもしれません。いちおう『あみめでぃあの目的――概念への叫び』という記事で、なにかを宣言してはおりますが、やはりよくわかってないというところなんですね。

 

 なにをやっているのかわかっていなくとも、やりたいことはわかっております。じぶんにしか書けない概念を、えいやっと書き出してみること、それをみんなでやること、みんなで読むこと、つなげてみること、結んでみること、編んでみること――糸が先だったのか、編み目が先だったのか思い出せなくなるほど、複雑なものをみんなで作り上げることです。


 そのためになにをどう書くか、そのあたりを解説しておこうと存じます。うちでお書きになるかたも、まだそうでないかたも、どうぞお付き合いくださいませ。

 

・だれにもなんにも邪魔されなければ、私が確かに言いたかったこと

ぼくはクリスティアノロナウドがすきです。クリスティアノロナウドはあしがはやくて新かんせんみたいです。ぼくのゆめはクリスティアノロナウドのようにはしっておかあさんとおとうさんをおどろかせることです。だからぼくはクリスティアノロナウドになりたいです。クリスティアノロナウドぐらいあしがはやくなればかんとくやコーチにしかられないとおもいます。

(私のやっていた作文講座で小学生が書いてきた文章・手直しなし)

 

 この文章を書いた彼は、世界中にあるもののなかで「クリスティアーノロナウドと新幹線」が最も速いと思っているそうです。おそらくこのページを読んでいるかたの全員が全員、もちろん私を含めて、彼とはおなじアイデアを持ち合わせていないことだろうと存じます。


 憧れのサッカー選手がだれよりも速くみえるのは、百歩譲って、恋の病とおなじなのでよしとしましょう(?)ですが、新幹線に限って言えば、それより速い乗り物――卑近なもので飛行機とか――を知ってしまっているがゆえに、なかなか共有できるアイデアではありませんね。


 ここで「彼が無知なだけだ」と切り捨てることも可能ですし、それ自体、なにかまちがっていることでもないでしょう。ただ、「彼は新しい物理体系で物事を考えている」と言ってもよいわけです。アインシュタインが「タイム・ディレイション」を考えたように、彼もまた、時間の体系が(彼のなかで)変わるなにかの法則を熟知しているのかもしれない。クリスティアーノロナウドと新幹線が最も速くなるような「彼なりのタイム・ディレイション」を持っているのかもしれない。


 そう思わせる書き口が、彼の非凡さでもあるわけです。


 彼の書く文章は、中学校に入学して、どんどん変化してゆきます。品のある文章を書き、どの先生からも褒められるような、いたって真面目で、年相応な知識を弁えながら、サッカー選手と鉄道の速さを同一視することなく、読者と共通の知識によりながら論を進めるようになりました。それはそれでよいです。教育の賜物です。ですが、私を興奮させた非凡さは、かき消されてゆきました。


 だからなんだ、と思われるかもしれませんが、私たちが文章で表現しようとするのであれば、非凡なほうがいいと思うのです。もちろん、いいとかわるいとかは変動するものですが、それでもわれわれは非凡なことを書くのだ、と宣言したい。


 だれにもなんにも邪魔されなかったとしたら、私がほんとうに言いたかったこと、確かに言っていたこと、それがたくさんたくさんあるはずです。知識とか、常識とか、期待とか、自意識によって、ちぢこまったことばかり書いていないだろうか。貧しい呼吸ばかりしていないだろうか。私は、表現をしたい。かつてじぶんにもあったはずの、あの非凡さを回想し、ふたたび抱きたい。


 だから、「だれにもなんにも邪魔されなかったら」という気持ちで、書いてみてほしいのです。


 あなたの原稿に対して、編集部はいろいろ言うかもしれませんが、それはぜんぶ「ほんとうに邪魔されないで書いた? 書きたいこと書けた?」という念押しの確認の意味でしかありません。編集部のことは一種の反省装置だと思ってください。採点なんてしません。正解を押し付けることもしません。もちろん文芸誌を作るうえでお願いをすることはありますが、そのときはすこしお付き合いくださいませ。

 

・最後まで書くという非凡な文体

ぼくは、アルバムをつくってお父さんや、お母さんにたい切にそだてられたいです。5時間ぐらいそだてられなかったら、生きられなかったとおもいます。

 

 これはネットで拾ってきた文章ですが、最後の「5時間ぐらいそだてられなかったら、生きられなかったとおもいます」に、異様な文体を感じます。文章自体は子どものそれなのに、この感想を盛り込んだおかげで一流の小説家が書いた長編小説のような《うねり》を感じることができるでしょう。


 このうねりは、細部を忘れなかったからこそ生まれるものだと言えます。つまり、産まれたこと全体の話ではなく、産まれたあとのたった数時間にあったであろう親の愛情、医療技術、医療制度、医師の誠意、あらゆる選択、あらゆる希望、そういう諸々を細かく詰め込んだからこそ「5時間ぐらいそだてられなかったら」ということばが出てくるのです。


 文化人類学者のレヴィ=ストロースは、新聞のコラムで「ものを書くこと」についてインタビューされ、「どんなに微細なことであったとしても、一切の細部を忘れないことが大事である」と語りました。また、おなじことを「私のなかには画家と細工師がおり、たがいに仕事を引き継ぐ」とも言い換えました。


 細かいことの細かい部分を最後まで書くことが《文体》を生みます。

 

きょうすみとくんとあきらくんであそびました。きょうは、プールであそびました。ぼくはプールのために水てっぽうをかいました。そして十一時二十九ふんぐらいにかえってきて三十ぷんぐらい遊びました。そしてつぎにインドりょうりてんでごはんをたべました。またかえってきて水てっぽうでたたかいをしました。プールがなつかしいです。

 

 これも拾ってきたものです。「十一時二十九ふんぐらい」とか、「プールがなつかしいです」とか、私には出てこないものです。これが彼の文体です。どんな小説家であっても、敬意を表するのではないかと存じます。萩原朔太郎の「猫、猫、猫、猫、猫、猫」(『猫町』)とか、橋本治の「ラーメン屋とラーメン屋と牛丼屋」(『バベルの塔』)とかと似たような感覚です。

 

 こうやって具体例ばかり挙げていても、よくわからないかもしれません。

 

 ここで、文体いうことばに立ち戻ります。文体は「スタイル/スタイラス」(style / stylus)ということばに由来しますが、基本的に先端の尖っている形状のことです。

 

 イメージしやすいように、レコード盤を思い浮かべてください。アナログレコードには、たった一本の溝が彫られています。この溝を針が辿ることによって音楽が再生されるのですが、この溝を彫る尖ったものを「スタイラス」と呼びます。

 

 (文字通り)皿の状態のレコード盤に、複雑な音のデータの《溝》を彫り込むスタイラスその溝一本で、どんな音楽でも流すことができる。それは、比喩的に言って、レコード盤に《文体》を生み出す行為だと言えるでしょう。(「スタイラス」を使ってレコード盤に溝を彫ることは「マスタリング」と言います)


 みなさんは、皿の状態の原稿用紙に、どんな溝を一本だけ彫りますか。ちゃんとマスタリングできていますか。(細かい物理学は「波の独立性」についてお調べしてもらうとして)レコード盤の溝に彫り込まれている情報は、ほんとうにほんとうに細かいものです。たった一本の溝であらゆる音を再現するわけですから、職人がマスタリングしなければならないほど細かいのです。細かいものを、最後までやるのですね。


 やっていることはシンプルかもしれません。ただ、文体を作るということは、ほんとうにほんとうに細かい作業だということです。「どんなに微細なことであったとしても、一切の細部を忘れないこと」というのは、レコードの、あの溝を、あなたが彫るために必要な態度なのかもしれません。

 

・ことばにするということ

よう虫はきらいです。なぜかというときもちわるいからきらいです。なんできもちがわるいかというと、ふんをするときのうごきが、きもちわるいからです。わたしは、ちょうちょになっても、とんで、つかまえようとしたら、すぐとんでいってびびるからです。なんで、びびるかというと、うごきがはやいからです。でも、びびらないように、できるようになりたいです。がんばりたいです。

 

 こちらも拾ってきました。「ふんをするときのうごき」とか、「びびる」とか、「びびらないように、できるようになりたい」とか、じぶんの感覚をことばにしようと振り絞っている様子が伝わります。ふんをするときの動きが気持ち悪いとか言いながら、それを表現するために、ちゃんと見ているんですね。見なきゃいいのに、でも「あの動きが気持ち悪いんだ!」と言いたいから、見ている。


 また「びびる」というのは、平安時代の和語で、軍が動き出し、鎧がぶつかり、びんびんという音を立てたところからきたことばです。この子にとって「驚く」(馬が急にかしこまって緊張する様子からきた動詞)でもなく、「びくつく/びっくりする」(驚いたときの擬態語からきた動詞)でもなく、「取り乱す」でも「愕然とする」でも「面食らう」でも「度肝を抜く」でも「声を失う」でも「気をのまれる」でも「肝をつぶす」でも「ハッとする」でもなく、「音が由来の動詞」を使わなくてはいけなかったのだと思います。


 つまり、こっそり蝶々に近づき、いざという瞬間の、ほんとうに一瞬の驚くべきできごとがあり、どうしてか気づかれ、すばやく飛び去ってしまうことへの「あっ!(わっ!)」という音を伴った感動あるいは動揺が、「びびる」という表現から自然と理解できます。

 

 「驚いた」なんて冷静な説明ではないんです。「びっくりした」という状態の現像ではないんです。「びび」という音に託さねばならない「わっ!」があったのだと思います。だからこそ次は、驚いてもいい、びっくりしてもいい、だけど「びびらない」ようになりたい、がんばりたいという気持ちなんですね。


 もしかしたらこれは大誤算の過剰な深読みかもしれませんが、これぐらい読みたくなる表現が、この子にはあったということでもあります。すくなくとも「びびるってなんだよ」って思ったのではないかと存じます。ついついそう言わせてしまう「表現」を、私たちは取り出してゆきたい。

 

(……)but the body is also the body from the inside. And then they're getting there slowly but they're still with emotions. Slowly they're beginning to understand that an emotion isn't just what they'd thought it was. It actually has something to do with the situation you're living in."

(訳)しかし、身体というのもまた内側(内臓的経験)を基にしているものである。ゆっくりとそこにたどり着こうとするが、しかしまず感情というものを感じるだろう。そしてようやく感情というものが、自分たちのイメージしていたものとは全く異なることに気付き始めるものだ。感情の実際というものは、状況を生きているなにかなのである

 

 哲学者ユージン・ジェンドリンは、心地とよべる感情を「状況を生きているなにか」と言いました。私たちは、これを感じ取らねばならないのです。驚くじゃなくて、びっくりじゃなくて、びびる、ということばを選び、「蝶々に逃げられたあのときの心地」を託すために、そのときそのときの状況を生きている「なにか」に気づかなくてはなりません。この「なにか」のことを、ユージン・ジェンドリンは「フェルトセンス」と名付けました。


 心地というのは、「いい感じ」とか「やな感じ」といった簡単なものではなく、もっと豊かで、もっと複雑な感覚のことを言うそうです。彼は「なんだかもやもやしていて、不明瞭で、名状し難いなにかを内臓で経験すること」と説明します。


 むずかしいことを言っているかもしれませんが、「なんとも言えないあの感じ」がことばになってやってくるまでじぶんの内側で待つということです。


 つまり、「あーこの感覚、なんて言えばいいんだろう」という経験。喉に骨がひっかかって、むかむかして、無性にいらいらして、腹を抉られるような経験がことばになるまで待つ。もし待てなければ、ほとんどの場合、唾液が骨を溶かしてしまい、気にならなくなって、なんともなかった顔で日常を過ごすことになります。それが大人の忙しい世界かもしれません。それでも私たちは、待つのです。時間が経てば忘れることができるからといって、時間のほうに向かって放り投げてはならないのです。「内蔵」で保全しておき、いつか、フェルトセンスをことばにするのです。


 それが、この子にとっては「びびる」だったのだと、私は思います。この子の「心地」は、このことばを選んだのです。生理的だったはずの感覚(「わっ!」)を、社会的なことば(「私は驚きました」)に置き換えないで、きちんと生理性を保って「びびる」に留める、「びびる」を選ぶ、「びびる」に託すことができたからこそ、この文章は私の心に残ったし、素晴らしい!

 

 山崎浩一が「《ゆがみ》こそが、その人にとっての『均整』なのだ」と言ってみせたように、いちいちバランスをとろうと思わなくていい、いちいち公約数的なことばを選ばなくていい、どんなに通分しても通分不可能な《ゆがみ》を捉え切って、表現してほしいと思うのです。

 

・まとめ

 むずかしいことを言ったかもしれません。


 でもたぶん、むずかしくないことです。


 大事なのは、「これがいい文章だ」と教わってきたことを、すべて忘却(unlearning)すること。

 

「文章(センテンス)は短いほうが良い」――忘却。
「結論を先に書いた方が良い」――忘却。
「わかりやすい具体例が良い」――忘却。
「引用は必要なときだけにするが良い」――忘却。
「読みやすい文章が良い」――そんなのすべて忘却だ!

 

 文章に関する「教科的な内容」は忘れて、あえて学び外して、もういちどじぶんの表現、じぶんの文章、じぶんの文体に目を向けてみることが肝心なのだと思います。


 やっぱりそれはむずかしいことかもしれません。でもやっぱりむずかしくないかも。うーん、どっちだと思います?


 いろいろ考えながら、悩みながら、いい原稿をつくっていただけたらと思います。そのためのお手伝いを、編集部総出でやります。私たちにはその準備があります。なんでも聞いてください。相談してください。意見が合わないことのほうが多いと存じますが、それでも一緒につくってくれたらうれしいです。


 最後にもうひとつ、私の好きな文章を引用して終わりにしますね。

 

あのね、うしがいたよ。よかったよ。

 

 

――――『あみめでぃあ』編集長・らららぎより

オリジナルTシャツを作るために

 同人誌も今度で第五号になるわけで、そろそろブランド化というわけではないにしても、グッズも出してゆきたいなと思っております。まずはメンバーにも配りたいしシャツだろう、という独断と偏見と思い込みと予断でもって、オリジナルデザインシャツ(もっとスマートに「プリントウェア」と言うらしい)について調べてみました。

 

 「情報まとめたがり屋さんが情報をまとめてくれているだろう」と、ゆとりインターネット的な安易な気持ちで検索するも、なかなかまとまった情報が出てこない。ひさしぶりに「orz」のポーズをやりました。デザインフェスタとかであんなに出てるのに、パッと検索して、パッと出てこないなんて……。

 

 同人誌は、奥付を見れば「◎◎印刷所」みたいな名前が明記してあって、そのままどういうクオリティの本ができるかわかるけれど、シャツはブラドタグしかなくて、そこだけみてもしょうがない。とにかく断片的な情報を拾い集めてわかったのは、オリジナルシャツにもいろいろあるということだった。わかった範囲でまとめたので、たたき台か参考にしてもらいたいです。

 

・結局はこだわりの世界

 シャツとかTシャツと言っても、まちがいなく奥は深い。繊維の種類だとか言い始めたら、もうキリがない。かといって無知なまま低品質シャツを発注してしまっても意味がない。シャツにする意味がない。シャツの種類もあるし、プリントの種類もあります。なによりいちばんメインの「デザイン」の勉強までし始めたら、いつまでたっても発注できない。

 

・プロに頼むか、じぶんでやるか

 同人誌とおなじく、プロに頼むかじぶんでやるかしかない。私は、こういうことはプロフェッショナルにまかせたい人間なので、迷うことなくプロに。(自主制作系の情報はそこそこありました。物さえ揃っていればけっこうカンタンみたいですね)

http://nori510.com/archives/7917
http://lets-business.com/job/t-shirt/
http://tshirts-maker.com/matome/25.html

 

オリジナルプリントシャツ業界

 シャツ印刷業は、意外とにぎわっておりました。小さな事業ですが、コンスタントに受注があるのかもしれませんね。学園祭のクラスTシャツという大迷惑なものから、ノベルティ、記念品、プレゼント、デザイナーズなどいろいろ。

 

 そのおかげで、会社が乱立しており、料金ひとつ調べるのにひとくろうです。「シャツプリント業者100の料金表まとめ」というNAVERまとめを見かけましたが、100社も見るのだるすぎでした。

 

 ポイントは「自社工場を持っている」ことだそうです。なるほど融通もきくし、受注から作成・点検まで自社でやっているから料金も抑えられる。工場を持っているから、信頼もできる。そういう算段らしいです。

 

 業者を選んだら、(1)見積もり、(2)デザイン入稿、(3)商品を発注、(4)支払い、(5)生産、(5)受け取り、という流れが一般的っぽい感じでした。このあたりは同人誌と変わらないです。

 

 「料金が高ければいいものができるというわけではない」ところも同人誌とおなじで、中小企業がひしめく印刷業界という感じです。明らかに経営努力してないだろう、という印象のところもいくつかヒットしました。

 

・料金いろいろ

 検索画面では【1枚300円~】みたいな文句が書いてありますが、そこに出てくるのは「100枚以上」注文したときの格安値段だったり、「シャツ本体」(ボディ)の値段だけでプリントの値段は別料金だったり、いろいろなトラップがあって、プリントウェアビギナーの私にはなかなか過酷です。

 

 「こみこみ価格」のようなネーミングの、「シャツ本体の料金とプリントの料金」が一緒になっているものもあってありがたいのですが、どうも値段に巧妙なトラップがあって、シャツの発注枚数が多くなればなるほどじわじわ単価が高くなる(!)料金設定の業者もありました。よく見ないとだまされそうです。

 

 シャツ自体の値段にもいろいろあって、軽いシャツから重いシャツで数百円の差があります。ドライシャツとかコットンシャツとか、素材によっても値段が異なります。

 

 消費税とか送料とかもあって、安そうに見えて意外とかかることもありそうです。大きい買い物だけに、シビアにみてゆきたいところです。

 

・サービスいろいろ

 値段もさることながら、「発注のしやすさ」を訴えるひとも結構いました。私が実際に操作してみてやりやすかったのは、「Tplant」と「T1200」です。いちいちなにかを理解しながら手続きしなくとも、ある程度で直感的に操作できるためスムーズです。ユニクロの「UTme!」というサービスはスマートフォンでオリジナルシャツをデザインでき、そのまま発注できるサービスですが、かなり扱いにくかったです。

 

 「Tplant」や「T1200」「UTme!」のように、Adobe Illustratorを持っていなくともオンラインでそのまま注文できるようなシステムは、すばらしいと思いました。こういうサービスが増えるといいですね。

 

 また、プリントウェアで主流のシャツは、プリント用に安く品種改良された「CVT-085 PrintStar」というシャツらしいのです。そのシャツを使っている業者がもちろん多いので、ほとんどのオリジナルTシャツのタグが「PrintStar」になっている現状があります。このタグの付け替えまでやってくれる業者があるようです。

 

 個人的にはタグなんてあまり気にしませんが、ほんとうにブランド化を考えているひとたちにとっては、ありがたいサービスなのかもしれません。

 

 「Tplant」は全面プリントも得意としているようで、全面プリントの相談に乗ってもらえるのはありがたいですね。

 

・頼みかたもいろいろ

 ここまで「発注→受け取り→販売」という発想で考えてきましたが、そもそも販売のしやすさと在庫管理を考えるなら、印刷業者ではなく「キャンバス(canvath)」や「SUZURI」などの発注サービスを使うのがよいでしょう。キャンバスなら「1枚1,700円」で発注できて、在庫なしで運用できます。

 

https://www.canvath.jp/
https://suzuri.jp/
https://note.mu/suzurijp/n/n06990e8d9373?magazine_key=m41f68d89fc49

 

・シャツもいろいろ

 シャツには重さ(厚さ)を表す「オンス(oz)」という表示単位があるそうです。繊維新聞を読んでいながらまったく無知な私が説明するより、以下のサイトにわかりやすくまとめられています。流行は「3~4oz」らしいのですが、そんなもの明日には変わっているかもしれないので、うちではふつうの「5~6oz」のシャツを選びたいと思います。

 

http://www.tshirt.st/site/oz.html

 

 「プラスワン」という大手業者には、「レディースサイズ」というサービスがあって、これがなかなかレディーたちや同業者に好評だそうです。うちは割と女性の買い手が多いので、こういうのもありかなって思います。「プラスワン」、大手だけあって安いですね。

 

 プリントウェア用のシャツ自体のレビューをやっているかたもおりました。すごいとしか言えません。やはり強いのは「CVT-085」のようですね。

 

http://www.cstr.jp/article/tee_break/review/20150123cvt.php

 

・はんこ屋さんもプリントウェア

 みんな大好き「はんこ屋さん21」もプリントウェアの業界で活躍しておりました。ちょっと高い気もしますが、名前を知っている業者、都心ならだいたいどこにでも店舗がある安心感などは強いです。ユニクロやはんこ屋さん21などの名前には驚きました。

 

・結局どこがいいんだろう

 今回の調査のなかでは、だんとつ「Tplant」がよかったです。でも1,200円でかんたんに作れる「T1200」や、レディースサイズも展開している大手「プラスワン」、在庫管理ができる「キャンバス」、ユニクロの「UTme!」などなど、どれも捨てがたいし、甲乙つけがたいです。

 

 ほかにも安くて対応のよい人気業者「インファクトリー」、サイトが見やすく仕上がりのよい「プリントマーケット」、見積もりがわかりやすく(こみこみ価格です)オンラインで発注できる「ラブラボ」など、いろいろありました。自分に合ったところが見つかるとよいですね。

 

・その他のリンク先

東京シャツ http://www.tokyotshirts.com/ (オリジナルTシャツのニュースサイト)
プリントウェア用語集 https://tplant848.com/word (門外漢なのでめっちゃありがたいです)
印刷用語集(マニア版) http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:cW4lNpkf6tkJ:www.koei-printing.co.jp/glossary/+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp (光栄印刷会社の『印刷用語マニアックス』のキャッシュです。くわしすぎて興奮しました)

テキスト系同人誌(文章系同人誌)のレビュー企画|第六号――横浜市立大学文芸部『勿忘草 春号』

まあ、私のくたびれ感はさて置き。当時新入生だった私は、入学式に貰った『檸檬』で文芸部の名前を見る前から、「入ろう!」と思っていました。と言っても、私は根っからの文芸青年と言うわけではなく(ここまで私が女である可能性を捨てずに頑張って来た方、すいません。私は男です。紳士です)、小学生から高校生まで野球をやっており、文芸部からは懸け離れた場所にいました。ですが、受験期から小説を書き始めていた私は、どうしても語り合える執筆仲間が欲しく、文芸部の門戸を叩いたわけです(実際叩いたのは鉄製の扉です)。当時髭ボーボー(完全に黒歴史)だった私を、文芸部の方々は快く受け入れてくれました。その時のことは、今でも鮮明に、鮮明過ぎて頭が痛くなるほどに覚えています。部誌を作ったり、作品の批評会をしたり、公募の小説賞に応募するメンバーで推敲会を行ったりするだけではなく、部室でだべったり、一緒にカラオケに行ったりして、私達は今日まで絆を育んで来ました。私はこの絆を、今度は新入部員の方々と育んでいけたらなと思っています。本気でプロを目指している人、素人だけど小説が好きな人、イラストが描ける人、いつか小説を書いてみたいと思っている人、小説について語りたい人、皆々大歓迎です。私達と一緒に、物語を、絆を創り上げましょう。部員一同、文芸部の部室でお待ちしております。――横浜市立大学文芸「新入生の方々へ」より

 

 本稿では、横浜市立大学文芸部の「勿忘草 春号」をとりあげます。書かない部員――「校正」部員、「編集」部員など――がいるめずらしいところだなあ、と、気になっておりました。文フリで見かけたので購入しに向かったら、部誌をいただき(これ無料でいいんですか……大盤振る舞いや……)、いやはや、すごいサークルがあるものです。

 

購入動機と星型レビュー

【購入動機】(無料配布でしたので実際には購入していません)

(1)校正や編集専任の部員がいる
(2)立ち読みしているときに静かに待ってくれた(部誌の説明もわかりやすかったです)

 

【星型レビュー】

装丁:☆☆☆     *表紙絵かわいいですが、ホチキスが少し雑です
編集:☆☆
校正:☆
目次:☆☆      *見やすいのですが、「前編」が抜けてます
小説:☆       *テーマが「春の花」ではなく、実質的に「男が主人公の恋物語」になっています
短詩:☆☆☆
企画:☆☆
後書:☆☆
奥付:☆☆☆


装丁

 中綴じですね。奥付に印刷所の名前がないので、手製でしょう。ホチキスの針を抜いてみたのですが(本を損なってしまって申し訳ありません…釈明をするとすれば、真ん中のホチキスが完全に中まで通っていなかったので抜き取りました)、おそらくホチキスを打つときに受け手を使用していないであろう歪みがありました。受け手は特段なんでもよく、予算がなければ消しゴムで構いません。消しゴムをホチキスの受け手にするだけで、ほんとうに綺麗に打つことができます。

 

 また、中綴じのよさは、紙面をノドいっぱいに使えるところです。本の見かけ上の余白が増えるということです。それなのに均等に組版されていて、逆に余白が違和感になってしまっております。


校正

 本当に、校正専任の部員がいるのでしょうか。包み隠さず申しますと、ここに関しては非常にがっかりしました。無料でもらっておいて、上から目線のようで心苦しいのですが、ボロボロです。今回は、小説の「構成」と「校正」の二軸でレビューして参ります。


「元気守」――野々宮琳家さん

 いろいろと疑問点が多くて読めませんでした。ここでは一点、一点、改めて洗い出してゆこうと思います。

 

 作品は八枚の短編。「結婚式を挙げる前の日に、亡き妹が成長して参拝しに来て、それとは知らない兄が浮気心をやや抱き、絵馬メッセージを通じて妹だと気づき、シスコンを自覚する話」です。ただ、短編は出来事を書くのに向いており、人物を書くのはほとんど無理です。ここでも「妹の幽霊が参拝しにきた」という出来事を書くのが精一杯になっており、シスコンに自覚する実彰や妹の人物性を書けておりません(妹が短命だった根拠が「桜」という名前、というのは、あまりに雑すぎですよね)。

 

 書けないのは当たり前なのでよいのですが、書こうとして書けていないので描写がすべて中途半端になっている印象です。人物を書くのを諦めて、「結婚式前日の妹の幽霊の参拝」に集中すれば、(題材はありきたりですが)もっとおもしろくなったと感じます。ただそうなると、春号のテーマ「花」を書けなくなるので、また難しくなります。今回は「テーマ:花→桜→短命→桜という名前の妹の幽霊→結婚直前の兄を煽る」という、雑なアイデアなので、もう少し洗練させたいところだと感じました。

 

 まず冒頭です。

 

風の強い春の日だった。作務衣でも寒くない陽気になったと、神社の息子、宮路実彰(みやじさねあき)はしみじみ思う。(…)ついさっき撒いてきた外祭(がいさい)で余った米をつつきに来た鳥が、ちゅんちゅん鳴くのが窓越しに微かに聞こえるばかりである。風が吹く度に、向こうに見える桜の春の欠片を散らした。(p.6) 

 

 (1)「(本日は)◎◎な日である」、(2)季節の変化の感じた話、(3)鳥がちゅんちゅんと鳴いている――ここから想像するのは、朝でしょうか、昼でしょうか、夕方でしょうか、夜でしょうか。

 

特に何もない、暇で、平和な昼下がり。(p.6)

 

 昼下がりだったのですね。叙述トリックかもしれませんが、私は朝だと思い込んでおりました。この時点で、かなり「合わないな」と感じてしまいました。

 

辛く、寒かった冬が終わり、春を告げる桜が綻んでいる。(p.6) 

 

 花は「咲き」、蕾は「綻ぶ」ものです。「桜が綻ぶ」では、中途半端な表現になります。読みにくいです。

 

そもそも愛想をつかれた[原文ママ]わけではない、と実彰が眉を寄せ[原文ママ]るのをこの老神職はけらけら笑って見せる。全くもって失礼な話である。このお茶目な性格の老神職は実彰が生まれた時にすでに実彰の父が宮司を務める神社にいた。前は違う職に就いていたらしいが、聞くたびに違う職を言われるものだから、実彰はとうの昔に聞くのをやめた。(p.7) 

 

(1)「お茶目な性格」を「お茶目な性格」と言ってしまったら、小説にしている意味がないのでは、と思ってしまいました。以前のレビューにも記しましたが、主人公が孤独であることを「主人公は孤独だった」と言ってしまったり、主人公が地球を救ったことを「主人公は地球を救った」と言ってしまったら、もう滑稽ですよね。「恥ずかしい」ではなくて、「赤面した」と書くから描写になるわけで、「僕は恥ずかしかった」では小学生の日記と区別できません。

 

(2)「聞くたびに違う職を言われるものだから、実彰はとうの昔に聞くのをやめた」というつながりがよくわかりませんでした。同じ作家として想像する限りでは、老神職を「てきとうなひと」と説明したかった(描写したかった)のかもしれませんが、実彰が聞くのをやめた動機がよくわからず、浅い人物説明にしかなっておりません。老職人の前職は作品とまったく関係ない瑣末なところなので、ここで無理やり入れる――「このお茶目な性格の~」のために余計な二文を増やす――必要はなかったかなと思います。

 

(3)名前を伏せながら進むと、どうしても「この老神職は」のような書きかたになってしまいますが、続くと気持ち悪いので工夫が必要です。

 

(4)わざわざ「実彰の父が宮司を務める神社」という説明文が挿入されていますが、あまりに説明的で文章のリズムを損ねております。どうしてもこの情報を出したいなら、文章を区切るべきです。そもそも文章作法で言われる「一文を短く」の目的はここにあります。「生まれたときには神社にいた古参だ」という情報と、「その神社は実彰の父が宮司をしている神社だ」という情報は、分けて書いたほうがひとつひとつの文の意図を損ねなくて済みます。

 

落ち着ける、はずがなかった。休日は家の手伝いに回る。そんないつも通りの日常を送れば、落ち着いて明日を迎えられるだろう……なんて甘かった。(p.7)

 

 視点がいきなり実彰の一人称になりました。カフカなどがよく使う手ですが、ヘタすると一気に読みにくくなります。ここでは読みにくくなった印象です。他にもあるので、一気に出します。

 

昔は、結婚式とは神社で挙げるものだと思っていた。そんなに有名な神社ではないが、それでも他の市からわざわざ式を挙げにくる方もいる。たまにではあるが、実彰は小さな頃からこの神社で挙式が行われるのを見て育った。紋付き袴は勿論のこと、白無垢も打掛も見慣れたものだ。いつから結婚式は教会で挙げようと思ったのだろう。小さい頃は自分も神職になるつもりだったのが、気づくと理系の大学に進み、一般企業に勤めていた。(p.7-8) 

 

 「昔は思っていた」とか、「くる方もいる」とか、「たまにではあるが」とか、視点が実彰に寄っています。

 

この元気守……みたまんまてるてる坊主の形をしたお守りである。天気と元気を掛けた、まぁ言ってしまえばそれだけのものだ。明日天気にしておくれ、ならぬ、明日元気にしておくれ、とでもいったものか。可愛らしい見た目から、お子様に人気のお守りである。(p.8) 

 

 誰が誰に説明している説明文でしょうか。「まぁ」とか誰でしょうか。「言ってしまえば」とか誰でしょうか。「とでもいったものか」とか「お子様」とか言っちゃってるひとは誰でしょうか。説明を入れたいのはわかりますが、こういう内容はとことん説明的になります。淡白な説明を避けようと思って地の文でやると、こういうミスをしてしまうものです。どうしてもセリフにいれるしかありません。

 

「見たままですが、もしかして、明日元気にしておくれ、ですか」
「ええまぁ、言ってしまえばそうですね。ダジャレです、やっぱり寒いですよね」
「いえ、私、そういうのすごく好きなんですけれど、むしろ私が子どもっぽいですかね」
「そんなことないと思いますよ、もちろん見た目が可愛いのでお子様からは人気ですけど」
ふたりは見合いながら控えめに笑った。

 

という感じのセリフを入れてしまえば、ここで説明したいことを、説明文にせずクリアできます。

 

そういえば、何年前からあっただろうか。確認しようと思い振り返ったが、老神職の姿はなかった。彼に聞けば分かるだろうと思っていたが、当てが外れた。(p.8) 

 

 視点がおかしいところのほかに、「~したが、…だった」が連続していて気持ち悪く感じます。

 

在庫引き出しからてるてる坊主……ならぬ、元気守と絵馬、それから神札袋を出しておいて、先に女性から初穂料を頂く。元気守は神札袋に入れて、絵馬と受付の黒いペンを合わせて渡した。(p.9) 

 

 視点の話はここまでにして、その他の校正に戻ります。

 

それすらも老神職を喜ばせる材料となるのだが、実彰にはそれを気にする余裕もない。(p.7)

 

 たとえば「それすらも老神職を喜ばせる材料となってしまう、ということに気づくだけの余裕が(or さえ)実彰にはなかった」とすれば、「それ」を二重に使わなくて済みます。指示代名詞が何重にもなると、読む側の負担になります――それは主に書く側のサボりということです。必要がないときは、できるかぎり排除するように心がけるとよいと感じます。

 

軽く会釈したその女性は、前に垂れた髪をそっと耳に掛けた。頭を上げて気付いたが、なかなかの美人である。打掛が似合いそうだな、とそこまで考えて明日嫁となる自分の彼女を思いだす。実彰は何もやましいことはしていないのに、なぜか決まりの悪い気持ちになった。(p.8)

 

 休日は神社に来ているわけですから、こんな美人女性は「そこそこよく見かける」はずですよね(人気の神社なわけですし)。なんで耐性がないように書かれているのでしょうか。しかも自己分析できておらず「なぜか」と書かれております。よくわからなくてまったく感情移入できません。(「内心ほっとしながら」「なぜかいたたまれない気持ちになり」など他にも耐性がない説明があります)。

 

げ、と思ったが、(…)。(p.9)

 

 異論はあるかもしれませんが、「げ」のところを「げ」に任せず描写してほしいところです。

 

【その他の校正要素】
・「先程」「さっき」
・「入居清祓だっただろうか」脱字
・「愛想をつかれる」〈つかされる〉
・「眉を寄せる」〈眉根を寄せる〉?
・「ちゅんちゅん鳴く」「けらけら笑う」「端がべろべろになって」「かりかりとめくって」
・「特に何もない」「なんだかんだ」「なにが嬉しくて」「なにかございましたら」「何もやましいことは」「なんでしょう」などなど
・「突っ込んだ」「しゃがみこんだ」「込み上げる」
・「気づく」「気付いたが」「折り目が付いて」
・「手に着かず」誤字
・「一人でごちながら」〈独りごちながら〉?
・「感慨にふける」〈感慨にひたる〉?
・「声を掛ける」「お声かけください」「笑いかける」「窓際にかかる」「話かける」
・「思いだす」複合動詞/「顔を出して」一般動詞
・「みる/見る」
・「いう/言う」
・「実彰はけっこう絵馬の願い事をよく盗み見ていた」〈けっこう~よく…〉の重複
・「けっこう/結構」
・「あう/合う」
・「わかる/分かる」
・「よう/様」形式名詞の揺れ
・「社務所を後にした。草履を履いて外に出る」説明文の重複
・「持ってく/持って行く」
・「いく/行く」形式動詞の揺れ


「春霞」――すずりさん

 十四枚の短編。セリフでしか人物設定する気のない、いわゆる「ラノベ風」の文章、と思いきや中途半端な描写が入ってくるので、読むのはかなりしんどいです。まずは冒頭から見ていきますね。

 

 放課後を告げるチャイムが鳴ってからしばらく経った小学校の校庭。広いグランド[原文ママ]を帰宅する子供の群れがぽつり、ぽつりとまばらに過ぎていく。人気は少なく、どこか寂しい。
 ところが校舎の壁がすぐそこにせまる校庭のすみっこ。数本の常緑樹が植えられたそこで、閑散とした校庭には似つかわしくない何やら騒がしい物音がする。
「いいよぉ……やめてよぉ……」(p.14) 

 

(1)「~からしばらく経った校庭。広いグランドを~」の重複が気になります。文章を分ける必要性がまったく感じられませんでした。

(2)「閑散とした広いグランド」に似つかわしい、「騒がしい物音」とはどんなものかと思いきや、「いいよぉ……やめてよぉ……」は、さすがに違和感があります。

(3)樹の話は必要だったのでしょうか。

(4)「どこか寂しい」のは誰でしょうか。

 

 この「誰でしょうか」問題は、さきほどの野々宮さんのところでもいくつかありましたが、すずりさんのところでも発生しております。三人称視点で書くのは、意外と難しいのかもしれませんね。一気に出します。

 

木陰から聞こえたのは少女のぐすり声だ。(p.14)
気の強そうな少女の声がぐずり声の少女をすぐさま叱り飛ばす。(p.14)
さきほどの叱責に萎縮したのだろうか。(p.14)
相変わらず語気の荒い少女の声が、煮えきらない少女の態度にますます怒りを募らせた。(p.14)
何を今更と言わんばかりの苛立った声が飛ぶ。(p.15)
香澄ちゃんと呼ばれた少女は構うことなく目的へと向かった。(p.15)
目的はほんの目の先。木の枝に引っかかったそれは今子供に人気の戦隊もののイラストがプリントされたハンカチである。(p.15)
これ以上の無茶は勘弁してと言いたげな声が返ってくる。(p.16)
キョーコと呼ばれた少女が木の下から離れたことを香澄は確認し、今度は~。(p.16)
相変わらずの強い語気で香澄がキョーコ、もとい恭子に言い放ったが、~。(p.16)
香澄の口が何か言いたげに聞いたが、まあいいかと思ったのか閉じた。(p.16)
ついで、自らの進路希望を書き込んだと思われる用紙をこれみよがしにひらひらとさせる。(p.16)
まだ来年か、もう来年か。(p.17)
無理やり話を終わらそうとしたのか香澄が剣呑とした目つきを恭子に向ける。(p.18)
一体どこに向かうのだろうかと思いながら引きずられていった先は、――――職員室。(p.22)
それからある先生を呼び出した。(p.22)
野次馬じみた視線が、気持ち悪い。(p.22)
一刻一刻と時が過ぎていくとともに事態が膨張していくのが身に感じられた。(p.23)
引き攣った声で恭子に尋ねた。いや、おかしい。こちらの方が有利なはずだ。こんな言いがかり、握りつぶせるはずだ。こいつさえ黙らせば……!(p.26) 

 

 次にいきます。

 

小学生の体重を支えるのには少し頼りない細さの枝が、少女の一挙一動に揺れる。(p.15) 

 

 可読性の低さを表示するために、あえて英語にすると、「A branch having thinness which was a little undependable staff as a support of schoolchild's weight was shaken with everything she did」となります。つまり、

 

「A branch was shaken」(枝が揺れる)
「A branch having thinness was shaken」(細さのある枝が揺れる)
「A branch having thinness which was a little undependable staff was shaken with everything she did」(少し頼りない細さの枝が、少女の一挙一動に揺れる)
「A branch / having thinness / which was a little undependable staff / as a support of schoolchild's weight / was shaken / with everything / she did」(小学生の体重を支えるのには / 少し頼りない / 細さの / 枝が、/ 少女の一挙一動に / 揺れる)

 

という修飾の形になっております。煩雑になっているのがなんとなくわかると思います。じぶんの文章が、ときに見た目以上の煩雑さ(可読性の低さ)をともなっているときもあるので、どうにか確認できる手段を持っておくのがよいでしょう。いまのように、別の言語に翻訳してみると、簡単におかしさに気付けることが多々あるのでおすすめです。試しに、もうひとつ可読性がほしいところな、と思うところを勝手に英訳させてもらいます。

 

その第一回目が来週と迫ったこの高校の、現在二年生、春には三年生になる生徒たちが通う教室が並んでいるこの二階では、おかげで春休み前特有の浮ついた様子があまり見られなかった。(p.17)

 

 「At second floor / where included any classrooms / to which some students went / who was second-year, / third-year in spring later, / of this school / where they were going / to take the first consultation / the coming week, / thank to that situation, / they seemed almost always honest / without an atmosphere / unique to just-before-spring-vacation.」という英文ができあがると思います。文構造が何重にもなっていて読みにくいです。

 

「香澄ちゃん……もういいよぉ……!」
悲痛な声が校庭に響いた。危ないからやめてと少女が再びぐずり始める。(p.15) 

 

 「広いグランド」とありましたが、「もういいよぉ……」という声が「校庭に響く」のでしょうか。

 
【その他の校正要素】
・「グランド」一般的には〈グラウンド〉
・「上を見上げる」まちがいではありませんが違和感のある重複です。
・「枝が細く分かれ始めた箇所」とは?
・「腰を落ち着け」〈落ち着かせ〉?
・「なに/何」
・「邪魔だから下といてなさいよ」脱字?
・「声をあげる/あがる/上げる」
・「呆気なく折れる音がした」?
・「おちる/落ちる」
・「みる/見える」
・「ぷくーっと頬を膨らませる」「ぷりぷりと怒る」「ぞわっと身の毛がよだった」「ぎゃーぎゃーと」擬態語にイメージを頼り過ぎかな、と思いました。
・「ひったくり」「引っ張る」
・「にぃーと口を尖らせる」〈-i〉音では尖りません
・「とき/時」
・「のぞきこむ/呑み込み/踏み込む/黙り込む」
・「見覚えは無い。連絡はない」揺れ
・「わかる/分かる」
・「一足飛びに跳び始めて」
・「気味の悪い悪寒が香澄の背中を走る」 〈に〉?
・「気づく/気付く」
・場面転換の空行数の揺れ、p.25が特に違和感
・「しばらくの間、少女はその場で」途中からなぜか名前になり、また〈少女〉に戻りました
・「可愛らしい恭子の声が言ったにも関わらず」〈声が言う〉に違和感。〈拘らず〉?
・p.27 下段左6行目、記号後のスペース処理問題

 

 

「ちいさなぼくらに」――木登じゅんさん

 早くに母親を亡くした「俺」にとっての母親代わりの年上の幼なじみに恋をするけれど、彼女は大学を卒業して東京に行ってしまうことになり、上京の前日に想いを伝える恋愛ストーリーです。九枚の短編ですが、「俺」の内面をそこそこ丁寧に書けている印象でした。ところどころ光る表現もあって、よかったです。まずは冒頭。

 

自転車で十五分も走れば、見慣れた河川敷にたどり着く。花の白が黄色が、草の緑が、みんなまとめて夕日に照らされ、真っ赤に萌えていた。(p.30) 

 

 みんなまとめて、というところが風景への全体的なイメージとなっていて、とても好きです。

 

 誠人は一人称で語りますが、逆の「誰でしょうか?」問題もありました。説明しようとしすぎて起こりうるものです。

 

沈んでいく炎を見届けながら想うのは、これからここに来る幼馴染、ちづ姉こと千鶴のことだった。(p.30)

 

 そこから読み進めると、やや気になる表現が出てきます。大事なところなだけに、余計に気になります。

 

五年前、中学一年の冬。俺は母さんを病気で失った。目まぐるしい身の回りの変化に悲しむ暇もなく、年の離れた幼い弟たちを抱えて途方に暮れたものだ。(p.31) 

 

 悲しむ暇はないのに、途方に暮れる暇はあるのかよ!?、と思ってしまいました。

 

「はい。誠人はブラックコーヒーだよね」

「おう、サンキュ」
(…)くすくすと笑う声を聞きながら缶に口をつけると、香ばしく落ち着いた匂いが広がった。初めは背伸びしたくて飲み始めたが、今ではいつもこればっかり飲んでいる気がする。
「誠人、大きくなったよね。コーヒーなんか飲んじゃって」(p.32) 

 

(1)「口をつける」は、食べるとか飲むという意味ですが、「缶を飲む」になってしまうので、意味を優先して「缶コーヒーに口をつける」とするか、事実を優先して「口に缶をつける」にすべきでしょう。「缶に口をつける」は、中途半端で犬のような飲みかたをしているのかのよう思えました。

 

(2)「くすくすと笑う声を聞く」ですが、違和感です。「くすくすと」とわざわざ書く必要はあったのでしょうか。「控えめに笑うちづ姉の声を聞きながら」のように書き、文章を幼稚にする擬音語に頼りすぎないようにしたほうがよいかと思いました。

 

(3)「初めは~飲み始めた」はしつこいような気がします。

 

(4)コーヒーに対して「香ばしく落ち着いた匂いが広がった」という形容は違和感があります。せめて「落ち着いた匂いと香ばしさが広がった」とか「落ち着いた匂いが一気に香った」など、それが香りであったことを優先させたほうがよいと感じます。(ブラックコーヒーばかり飲んでいるひとはふつう、「コーヒの香り」とは言うけれど、「コーヒーの匂い」とは言わないので)。

 

(5)ブラックコーヒーに関する情報を、ちづ姉はどれほど持っているのかよくわかりませんでした。「今ではいつもこればっかり飲んでいる」のであれば、ちづ姉はもっと早い段階で「大きくなったよね」と言うチャンスがあったと思います。この後のピーマンの茶化しなどを考えると、ちづ姉はコーヒーの話題で誠人をいじりたいはずです。それがここのタイミングというのは遅いようですから、そうなると「どうしてちづ姉は知らなかったのか」という疑問が出てきて、わからなくなりました。

 

「ちょっとぉ、何ですかその顔は」
「いいや、別に」
「ふんっ」
 ぷすーっと頬を膨らませ顔を背けたちづ姉が(…)。(p.33) 

 

 文章が幼すぎて、ちづ姉がとても幼く感じてしまいます。「ちょっとぉ」も「ふんっ」も「ぷすーっと」も、それを書かずにどうにか表現できないものでしょうか。

 

 画面の中の俺が右手を軽く上げると、ちづ姉の左手が伸びた。俺の右手に柔らかい物が当たって、画面の中の俺たちは手をつないでいた。そのまま、不慣れな作り笑顔を向けようとしたが。
(…)
「知ってる。けどほら、笑って笑ってー……」
 言いながら、画面の中のちづ姉がさらに俺に近付き、(…)笑みがこぼれた時、カシャ、とシャッター音が鳴った。(p.34) 

 

(1)「画面の中」を強調するのは、なぜでしょうか。おそらくこのシーンが好きなんでしょうけれど、急に映像的な部分を強調された地の文にしても、読んでいて気持ち悪いです。好きなシーンも普通に書けるようにするのはむずかしいのですが、ここは愛情が強すぎます。

 

(2)「カシャ、とシャッター音が鳴った」も、擬音語を使わずにどうにかならなかったのでしょうか。

 

「……待ってるから。待ってるん、だから……」
 えぐえぐとちづ姉は泣きだした。涙と一緒に、本音もぼろぼろと溢れてくる。
「東京なんか、行ぎだぐないぃ」
「言わないでくれよ。……俺だって、ちづ姉と離れるの、辛いんだよ」
(空行)
 ちづ姉の涙は止まらなかった。顔をぐしゃぐしゃにして、子供みたいに、俺のぶんまで泣いていた。
 俺はどうしようもなくて、ただ彼女の背中をさすりながらお気に入りの歌を口ずさむことにしかできなかった。初めてここに来た時、ちづ姉が俺に教えてくれた歌。何故だかわからないけど、それが今の俺にできる唯一のことだと思った。(p.37)

 

(1)ここはかなりいいシーンなのですが、セリフどうにかならないでしょうか。セリフは別に脳内音声を忠実に書き写すところではないので、濁音をうまく地の文で表現したいです。

(2)「言わないでくれよ」って、自然体のセリフとして言いますか。
(3)「えぐえぐ」「ぼろぼろ」「ぐしゃぐしゃ」で文が幼稚になります。
(4)ここまで「ちづ姉は子供みたい」を強調しすぎているので、「子供みたいに泣いた」ではなくて、できるだけ「声とか顔が子供みたい」という個別のこととして取り上げるのがよいかと思います。(というか、主人公が大人びていることを表現するために、相手を子供っぽくするのは下手なやりかたです。がんばってセリフや内面の描写で主人公を大人っぽく書くほうがよいかと思いました)。
(5)内面描写で「わからないけど」は幼稚に見えます。「けれど」のほうがしっかりした印象。
(6)後半の歌の話がやけに説明的になっているので、それはこの場面では致命的なので、回避したほうがよいかな、と感じました。
(7)「~な歌。」で体言止めをしていますが、そこで意外とリズムが崩れているので、ここはもうすべて「~した(~だった)」で流して大丈夫だと思います。
(8)空行いらないと思います。
(9)三点リーダー「……」おおすぎます。作品全体を通して多いのですが、ここはかなり集中して多いです。
(10)明らかにわかるときはいいのですが、同一人物のセリフが続くときは、もう少しわかりやすくどこかに工夫をいれるとよいかもしれません。

 

「待ってるから、待ってるん、だから……」
 ゆっくりと、だけどいきなり、ちづ姉は泣きだした。その一瞬、俺は何も言えずに、ちづ姉からあふれる涙とこぼれる本音を受け止めるので、精一杯だった。強張った声で、ちづ姉がことばを継いだ。
「東京なんか、――」
 このあとに続いたことばは、濁音混じりの、ちづ姉の本音だった。東京なんか行きたくない、そのことばが、実直な想いが、俺の心の襞を抉る。
ちづ姉……辛いよ、そんなこと言うなよ、俺だって」
 俺たちは、最後の最後になってようやく本音をぶつけあった。ちづ姉は人目をはばからずに大きく泣いた。泣けなかった俺のぶんまで泣いてくれた。泣き顔も、泣き声も、まるで子どもみたいで、俺はただ背中をさすりながら、ちづ姉がこの場所でいちばん最初に歌ってくれた歌を口ずさむことしかできなかった。それほどにどうしようもなくて、それが俺にできる唯一のことのように思えた。 

 

 いま挙げた部分を私なりに書き加えたものです。三点リーダーを減らし、えぐえぐなどをなくして普通の描写に組み込み、同一人物のセリフをつなぎ、濁音を回避し、違和感のあるセリフを変更し、子どもであることの強調を回避し、「けど」を回避し、説明的なところを解消し、体言止めのリズム停止を回避し、空行をなくしました。

 

 ここからはよかったところをいくつか挙げます。

 

そこに自分の缶を当てる。音のない乾杯。(p.32) 

 

 おしゃれですね。

 

ちづ姉の方が、俺のことをよく知っているんだな。(p.34) 

 

 ちづ姉のイメージがすごくよく表現できていると思いました。母親役をやってくれていたんだな、というのがようやく見えるところです。

 

「(…)俺はさぁ、ちづ姉のこと」
 こぼれた言葉は途切れ途切れに、しかし焦りと共に紡がれて、そこでびたっと止まった。その先は、声に出そうにも音がでない。どっ、とっ、と心臓が音をたてて、他にもう何も聞こえない。息の仕方がわからなくて苦しい。
 おれ、自分ってこんなに臆病だったか? この先に続く言葉は? ――一つしかないだろ?
 喉の浅いところに引っかかって動かないそれを、無理やり吐き出そうと……する。した。ときだった。(p.35)

 

 ぎこちない描写もありますが、ここではそれもまたよい部分になっているように思います。誠人はあまり自問自答しませんが、ここではしっかり自己言及し、ひとつの答えにたどりつこうともがいていて、ようやく「幼いときから弟たちの父親役」をやってきたと自認している人間のあるべき思考力のようなものが見えた気がします。こういうのが続けば、「幼いときから弟たちの父親役」だった誠人の本質が表現できると思うのですが、基本的に木登さんの調査不足感がいなめません。誠人の思考回路は、どちらかというと「幼いころから両親に与えられてきた」感じの、甘やかされて育った感じの子です。

 

 俺たちの間で咲く、一輪のタンポポ。俺たちの歌に合わせて、この花が土手一面に咲き誇っていればいいのに。見渡す限り、金色の絨毯が広がればいいのに。
 そうすればきっと、いつまでもこの場所を、今日という火を忘れずにいられるだろうから。
 (…)今日だけはこの歌声が神様に届くように、声を張り上げた。隣でちづ姉も声を張り上げた。
(空行)
 とぎれとぎれの音痴な歌声が二つ、重なって空へ溶けていく。(p.38) 

 

 願い事がシンプルで、誠人の心そのもので、とてもよいです。途中にはいっている「普段はそんなもの信じないくせに~」の段落は余計に感じましたが、そこがなければここの描写は完璧だなあ、と思います。最後の日に、土手で、泣きながら、両思いなのに実らなくて、それでも思い出の歌を一緒に大声で歌う。いいですよね。

 

【校正要素】
・セリフに「……」を使いすぎてだるいです。
・「わかる/分かる」
・「気付く/押しつける」
・「だす/出す」
・「あう/合う」
・「こむ/込む」
・「こと/事」形式名詞
・「ところ *形式名詞/所 *一般名詞」
・「何かを言おうと口火を切った」〈話の口火を切った〉?
・「たてる/立つ」
・「声をあげる/上げる」
・「うたう/歌う」
・「途切れ途切れ/とぎれとぎれ」

 

 

れんげそう 前編――中結弦さん

 三十ページぐらいあるのですが、まだ前編だそうです。事実的に中長編ですが、人物を書けているかというとそこまでの印象でした。サークル内で起きた恋愛のあれこれを、ダラダラ書いている感じで、読むのはしんどかったです。「春の花」というテーマは、あまりテーマになっておらず、後半どうなるのか少し心配でした。校正すべき点も多くあり、読めません。内容も都合のいい場面が多くあり、ケータイ小説っぽかったです。

 

幸いなことに、近くに歩行者はいなかった。(p.41)
そんな呆れたくなる自分の目と(…)。(p.43) 

 

 細かいところですが、一人称視点での「幸いなことに」「呆れたくなる」がよくわかりませんでした。


【校正要素】
・「一歩」「四年間」「5階」「三回目」「五分もかからない」「二十年」「三年」「一つ」「三つ」「高三」
・「歩道は上から見ていたよりも」脱字
・「わかる/分かる」
・「~込む/こみ上げる」
・「JOIE」「THE」が横になっています。
・「慌てて/あわてて」
・「一つ/おひとつ」
・「たとえば――」ダッシュ後の句点なし *p.48には挿入
・「『……!』」セリフとしてどうでしょうか。
・「なに/何」
・p.46上段真ん中、下段右3行目、下段真ん中、記号後のスペースが文頭に
・「訊ねる」この変換で大丈夫でしょうか。実はこれを使うのはまちがいです
・「いつのまにか/いつの間にか」
・「食い込んでくる気なのか?遠慮って」スペース
・「やつ/奴」
・「しまっているのか?それはちょっと」スペース
・「命令しているような――」句点
・「ん?」
・「言う/いう」
・「『すでにお前は、お前の言う俺の『キラキラした』日常の一部に』」で二重鉤括弧の重複
・「JOIE(喜び)のケーキ――」句点
・「夢の世界があるからよ。 甘酸っぱい」なぞのスペース
・「為/ため」
・「作る/つくる」
・「付ける/つける」
・「事/こと」
・「シュパっという送信音」「わらわらと」
・「いつのまにか/つかの間/あっという間」
・「「「「かんぱーい」」」」地の文で表現できると思います
・「告白した?どこで」スペース
・「! よお!」「!? ……まあ」「! あ、おい」
・「――それにしても」文頭の字下げ忘れ
・「欲しい/ほしい」形式形容詞と動詞
・「無理/むり」
・「過ぎ/すぎ」
・「頷く/うなずく」
・「人込み/こめる」

**************

 

 著者のわからない都々逸とSSと、特別企画の質問と、あとがきとは省きます。企画とあとがきは、おそらく誰も校正していないのではないかと存じます。校正専任がいると聞いていたのですが、読み終わったあとは、逆にどんな観点から校正しているのか気になりました。エンターテイメント小説として書きたいのか、そのなかでもルールの多いライトノベルで書きたいのか、そのあいだにあるライト文芸で書きたいのか、それぞれの著者がやりたいことがよくわかりませんでした。唯一、「ちいさなぼくらに」だけが、「ああ、大人な男の子を書きたいんだろうなあ」とわかりましたが。

 

 小説をたくさん読んでから書いたほうがよいのではないかと感じました。テーマ性にしろ、エンターテイメント性にしろ、弱いです。校正のほうは、もう少し校正しましょう、という感じでした。次号に期待です。

 

テキスト系同人誌(文章系同人誌)のレビュー企画|第五号――早稲女同盟「いばら道 Vol.2」

わせじょらしくを、あたらしく
――キャッチコピー

 

 本日とりあげるのは、早稲女同盟(@wasejyodoumei)の「いばら道 vol.2」です。早稲女が文豪に挑戦状(ラブレター)を出すという体裁で書かれた自分語りが12本(40ページ)あります。この情報だけだと「小分けだな」と思うかもしれませんが、ひとつひとつ読むのが大変でした。文学作品がわからない読者でも、自信満々に語られる恋愛遍歴を「ふふ」っと笑いながら読めるようにもなっていて――なぜかみなさん自虐の形をとらずに自虐的な雰囲気にするのがうまい!!!――、文豪特集にもかかわらず、ほとんどだれでも楽しめるようにセーフティネットが充実していて素晴らしかったです。つまり「この作品知らないなあ」となっても、早稲女たちの恋愛遍歴自虐本として読めば次第に作品にも興味が出てくるので、さすが「恋愛」ジャンルの腕力は並ならぬものだなと再確認いたしました。

 

※本稿に書かれていることは「らららぎ」個人による感想の域を越えず、本サークル『本質的にちくらぎ』とは関係ありません。

 

購入動機と星型レビュー

【購入動機】
(1)あとーすさん(@ATOHSaaa)激推し
(2)制作が自信満々!!!

 

【評価】
装丁:☆☆☆☆    *マステっぽくてかわいい!
編集:☆☆☆     *漫画だけ浮いている印象です。
校正:☆
目次:☆☆☆
特集:☆☆☆☆    *それぞれの著者の実力差が大きすぎるように思いました。
付録:☆☆☆     *サブ垢ないひとの死が…笑
奥付:☆☆
 

エディトリアルデザイン

 いばら模様のマステ風の横枠があって、ふつうなら過剰ですが、なぜかマッチしているように感じられます。巻頭言では「『である』を捨てた何者でもない私を語る場所」とありますが、こんなの女子への欲望じゃん!とは思いました(笑)冗談です。

 

 気になったのは、最後に漫画があるのですが、漫画だけいばらがなくA5フルに描かれていているところですね。せっかくなので統一したほうがよかったかな、と思います。(漫画のコマ割りが大きいので、A5をフルに使わなくても余裕で読めるかな、と)。

 

×樋口一葉「十三夜」――早乙女ぐりこさん

 樋口一葉と言えば、なんと言っても「声を出して読みたくなる」ものです。まずは原文の一文目を引用します。

 

例(いつも)は威勢よき黒ぬり車の、それ門に音が止まつた娘ではないかと兩親(ふたおや)に出迎はれつる物を、今宵は辻より飛のりの車さへ歸(き)して悄然(しよんぼり)と格子戸の外に立てば、家内うちには父親が相かはらずの高聲(こうしょう)、いはゞ私(わし)も福人の一人、いづれも柔順(おとな)しい子供を持つて育てるに手は懸らず人には褒められる、分外の慾さへ渇かねば此上に望みもなし、やれ/\有難い事と物がたられる、あの相手は定めし母樣(はゝさん)、あゝ何も御存じなしに彼のやうに喜んでお出遊ばす物を、何の顏さげて離縁状もらふて下されと言はれた物か、叱かられるは必定、太郎といふ子もある身にて置いて驅け出して來るまでには種々/\(いろいろ)思案もし盡しての後なれど、今更にお老人(としより)を驚かして是れまでの喜びを水の泡にさせまする事つらや、寧(いつ)そ話さずに戻ろうか、戻れば太郎の母と言はれて何時/\までも原田の奧樣、御兩親に奏任(そうにん)の聟がある身と自慢させ、私さへ身を節儉(つめ)れば時たまはお口に合ふ者お小遣ひも差あげられるに、思ふまゝを通して離縁とならは太郎には繼母の憂き目を見せ、御兩親には今までの自慢の鼻にはかに低くさせまして、人の思はく、弟の行末、あゝ此身一つの心から出世の眞も止めずはならず、戻らうか、戻らうか、あの鬼のやうな我良人(つま)のもとに戻らうか、彼の鬼の、鬼の良人のもとへ、ゑゝ厭や厭やと身をふるはす途端、よろ/\として思はず格子にがたりと音さすれば、誰れだと大きく父親の聲、道ゆく惡太郎の惡戲とまがへてなるべし。――樋口一葉「十三夜」 

 

 これに「挑戦状」を出すということでしょうか。出すとしたらどうやって?

 

いつも威勢よく、マンション9階の実家のドアを「ただいまー」と開ける、嫁に行った娘が、今日は他人行儀にインターホンを押してうつむきがちに立っている。(p.6) 

 

 現代版か、という喜びが一文目を読んで湧き上がりました。樋口一葉ジェンダー界隈でも読まれていますが、『十三夜』は「結婚して女は幸せになるものか」というやや反骨的な精神で書かれているもので、そのテイストが「早乙女ぐりこ」さんの人生とクロスオーバーして、面白い作品となっております。これを読んでいいなあと思ったら、まちがいなく『十三夜』を読んでもらえる、見事な変奏だったと思います。

 

 惜しいな、と思ったのは「文のリズム」をもっとハッキリ残してもよかったかな、というところでした。原文の最後のところを引用させてください。

 

さ、お出なされ、私も歸(かえ)ります、更けては路(みち)が淋しう御座りますぞとて空車引いてうしろ向く、其人(それ)は東へ、此人(これ)は南へ、大路の柳月のかげに靡(なび)いて力なささうの塗り下駄のおと、村田の二階も原田の奧も憂きはお互ひの世におもふ事多し。 

 

 最初に「声に出して読みたくなる」と申しましたが、こういう感じです。本文が「ラブレター」なのは隅から隅までわかりましたが、「挑戦状」ではないなと感じてしまい、本誌が自ら設定したハードルの高さに、やられてしまっているという印象も受けました。

 

【校正要素】
・「いつも威勢よく、マンション9階の実家のドアを『ただいまー』と開ける、嫁に行った娘が、今日は」〈開ける〉と〈嫁に行った〉の主語が数回読みなおすまでわかりませんでした。原文に引きづられたかな、という感じです。
・「9階」「一人」「二人」「三十歳」
・「さよちゃんはね……(文末句点なし)」「介護に追われている……、(文中読点あり)」
・「なにかあったんじゃないの」「なんていうつもり」「何も言わずに」
・「おじいちゃんになんていうつもり」「なんでそんなこと言うの」「」
・「押し付ける」「近づいて」「目星をつけて」「」
・「フェイスブック」「ツイッター」「LINE」
・「ひとりでも」「一人」「二人」〈独り〉を開いただけかもですね
・「ツイッターでは夫がつぶやいている。『~(略)』。彼は(セリフ括弧のみ句点あり)」「占い師が言ってたっけ。『~』(セリフ括弧のみ句点なし)」

 

×夏目漱石「三四郎」――伏見ふしぎさん

今日はサークルの新歓だった。授業オリエンテーション後に部室前に集められた新入生は、先輩の誘導でぞろぞろ大学近くの公園へ移動する。何人組かで来ている者もいれば、一人で手持無沙汰にスマホをいじる者もいる。ブルーシートに到着すると、上級生が寄ってきて酒、つまみ、お菓子などを次々に並べていく。「出身どこ?」「へー文学部なんだ、何学科?」「次何飲む?」「他のサークルとか見に行った?」機械的に流れてくる質問に合わせているうちはよかったけれど、話が雑多になり輪がほどけていくと、三四郎はいつの間にかどの会話にも混じれなくなっていった。(p.8)

 

「あ…ごめんベッドとっちゃってた」
「いいよ、床で寝るし」
「えっ、悪いよ、私床で寝るよ」
「それはさすがに…いいよベッド使って」
「だめだめ!明日から授業はじまるし、風邪ひいたらやばいよ。私小さいから2人で寝れるよ」
「…え?」
 そういうと女の子は端によってひとり分のスペースを空けた。
「はい」
「いや狭いし悪いよ」
「えっじゃあ私床で…」
「それはさすがに…」
 そのやりとりが何往復か続いたが、女子は一向に折れない。(p.10) 

 

 この不器用さというか、不完全で未完成なところが『三四郎』そのものを感じさせます。これと似たような会話が原文にもあるのですが、それよりも私のお気に入りのところから引用しますね。引用中のセリフは三四郎から始まります。

 

「絵をお習いですか」
「ええ、好きだからかきます」
「先生はだれですか」
「先生に習うほどじょうずじゃないの」
「ちょっと拝見」
「これ? これまだできていないの」とかきかけを三四郎の方へ出す。なるほど自分のうちの庭がかきかけてある。空と、前の家の柿かきの木と、はいり口の萩だけができている。なかにも柿の木ははなはだ赤くできている。
「なかなかうまい」と三四郎が絵をながめながら言う。
「これが?」とよし子は少し驚いた。本当に驚いたのである。三四郎のようなわざとらしい調子は少しもなかった。
 三四郎はいまさら自分の言葉を冗談にすることもできず、またまじめにすることもできなくなった。どっちにしても、よし子から軽蔑されそうである。三四郎は絵をながめながら、腹の中で赤面した。――夏目漱石『三四郎』 

 

 こういうやつなんです。ただ、ちょっと三四郎(小川くん)に寄りすぎて書かれているため、三四郎に感情移入しながら読まないと読み切れないのがザンネンなところでもありました。

 

【校正&編集要素】
・「一人暮らしなんだよね?なんで~」「シャワー借りてもいい?あと~」「だめだめ!明日」スペース *別箇所はスペース入り
・「…」三点リーダーがひとつになっています *ダッシュは偶数本になっています
・「腕をつかまれているだけだ(改行)…。」字送りして前行にとどめたほうが可読性は高いかもしれません
・「また少し酔いが回ったみたいだ」急に三四郎目線
・「沈黙が苦しくて、とりあえず言葉を発する」三四郎目線
・「一人」「三々五々」「1時間」「3人兄弟」「2つ目」「1ヵ月」「3時」「4月」
・「女の子」「女子」 *同一人物の地の文での判然としない書き分け
・「だいじょうぶ」「大丈夫」
・「Tシャツ」一箇所小文字で横になっています
・「きまり」「決まり」
・「ひとり」「一人」
・「まじる」「混じる」
・「いう」「言う」


×谷崎潤一郎痴人の愛」――グアテマラ・R・マヤさん

 『痴人の愛』は、まあ名前からしてイメージできると思いますが、谷崎潤一郎のなかでも最もエロい物語です。いらんほどに性的なこと(セックス)にこだわって書かれた奇跡的な小説といっても過言ではありませんね。ただ、一般的な男女の事情話にありがちなじめっとした感じはあまりなく、むしろ天井の高い言語空間によって表現されるため、きわめて異質なものでもあります。どのような挑戦状になるのか、読む前、かなりわくわくしました、が、単に「まるで私のための作品みたい」という話に終始します。不倫の話や恋愛遍歴が楽しいひとは楽しく読めたかもしれませんが、私個人は占い師をやっていたころによく聞いていた話なので、パーッと流し読む感じになってしまいました。「大きな問題ではない」「満足仕切っている気持ちの表れ」のつながりがよくわからず、その前の「肯定してくれる心地良い存在」「少し自分の罪悪感も薄れる。だからこそ、この物語が好き」も微妙につながっていないし、なにが「だからこそ」なのか読解できそうにないし、文章の物足りなさというところもあったかもしれません。

 

【校正要素】
・「早稲女になれば何かが変わる気がした私は、~」「乏しい環境から自分を好きだし衣食住だけでなく教育をも与えてくれた譲治に対して、~」「別れから半年もたたずに戻ってきた私に対し、~」
・「(別名~」「(一女~」「(もしく~」半角括弧
・「いえば」「言えば」
・「彼が悲しんだ顔は見たことがあっても」 二重の〈が〉→〈の〉
・「現金なもの」
・「また不倫が発覚し家を追い出されたナオミはほぼ初対面の西洋人の家に転がり込むが、不倫経験はあっても不倫相手の家に転がり込んだことはない」 *だれがないのか読み返さないとわかりません。対比で書くときは、「ナオミは~だが、◎◎は~なかった」と比較するものを明確にしたほうが可読性が高いと思われます。
・「譲治は仕事が手につかなくなったため電気技師は退職しているし」 二重の〈は〉


×梶井基次郎――三七十(みなと)さん

 三七十さんの文章を読んで、梶井はまだここに生きていたのか、と感激しました。朝の通勤電車で読んだのですが、場所が場所なら泣いていたかもしれません。なんとなくの中心として『檸檬』を選んでいるっぽいのですが、三七十さんが影響されている文章自体は、むしろ晩年の梶井基次郎だと確信できます。あの、結核で、路をゆっくりとしか歩けなくなったあとの、信じられないくらいスローな言語感覚にかなり近いものを感じました。

 

 親愛なるK先生へ、
 どうかあなたが実のところあほでありますように。
 ふとしたことで欲情して自慰行為にふけって一篇の美しい詩篇も書くことができずにいた夜がありますように。生涯女を知らぬあなたはその精神の高潔さゆえではなく、ただ機会がなかったか、あるいは宇宙の様な女の穴を前にして一歩も動けなかっただけでありますように。
 恋をしたわたしがこうして男のにおいのする指で打鍵をすることを、あなたの魂がゆるしますように。そうしてよごれてもよごれても、かたくなさを永遠にうしなっても、いつか小説を書けますように。(p.14)

 

 ラブホテルの天井は遠い、君と行くかもしれない京都のほうがずっと遠い。
 君はお寺とか神社とか一通り観光名所を回ってそのあと東横インのベッドにインできたらそれでいいのかもしれないけど、わたしは早朝の哲学の道を一人で歩いたり谷崎のお墓参りをしたりしたいの、一人で。絶対ついてこないでね。
 そんなことを思いながらしがみついていると早くなる脈拍、わたしの気持ちとは裏腹に興奮していく君の肉体を満足してわたしはほくそ笑む。笑むけれどそのぶんだけむなしい、東横インのベッドで幸福をかみしめる自分のすがたがやすやすと想像できるのだ。心臓のいびつなかたち、でこぼこにあいた穴に君が檸檬クリームを塗りこめる。(p.14)

 

 先生助けて。助けないで。
 もっと最低なことがしたい。
 大好きだよって言い続けてあなたを黙らせたい。(p.15)

 

 裸になってみえるのはやさしさなんかじゃない、ただ、ただ、愛だし慰めだよ、自分への、そうじゃなかったらわからないよ。君のプレイリストを1ミリも好きになれない。君だってわたしのプレイリストにまるで興味がない。それが嬉しいの。
 (…)まったくあほだよね!
 わたしは月夜の海辺で影を追って昇天するし、あなたは浮気した唇でJ―POPを熱唱して昇天する。それでいいと思う。(p.16) 

 

 嗚呼、すばらしいです。最高です。晩年の梶井のテイストに、短歌のような自己再帰的なテイスト、それといやらしくない欲望のサジェスチョン。すべてがよいです。細かいところに作品を散りばめていて、特に「幽霊みたいな水音に耳をすまし」のところが、ラブレターだなあと感じます。『筧の話』は、梶井が死ぬ前に歩いていた散歩道を、ゆっくりゆっくり描写した作品で、夏目漱石並みのおかしな造語も入ってきたりしていて、とてもよいです。引用しましょう。

 

この径(みち)を知ってから間もなくの頃、ある期待のために心を緊張させながら、私はこの静けさのなかをことにしばしば歩いた。私が目ざしてゆくのは杉林の間からいつも氷室(ひむろ)から来るような冷気が径へ通っているところだった。一本の古びた筧(かけひ)がその奥の小暗いなかからおりて来ていた。耳を澄まして聴くと、幽(かすか)なせせらぎの音がそのなかにきこえた。私の期待はその水音だった。(…)「そのなかからだ」と私の理性が信じていても、澄み透とおった水音にしばらく耳を傾けていると、聴覚と視覚との統一はすぐばらばらになってしまって、変な錯誤の感じとともに、訝(いぶかし)い魅惑が私の心を充たして来るのだった。(…)すばしこく枝移りする小鳥のような不定さは私をいらだたせた。蜃気楼のようなはかなさは私を切なくした。そして深祕(しんぴ)はだんだん深まってゆくのだった。私に課せられている暗鬱な周囲のなかで、やがてそれは幻聴のように鳴りはじめた。束の間の閃光が私の生命を輝かす。そのたび私はあっあっと思った。それは、しかし、無限の生命に眩惑されるためではなかった。私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。何という錯誤だろう! 私は物体が二つに見える酔っ払いのように、同じ現実から二つの表象を見なければならなかったのだ。しかもその一方は理想の光に輝かされ、もう一方は暗黒の絶望を背負っていた。そしてそれらは私がはっきりと見ようとする途端一つに重なって、またもとの退屈な現実に帰ってしまうのだった。筧は雨がしばらく降らないと水が涸(か)れてしまう。また私の耳も日によってはまるっきり無感覚のことがあった。そして花の盛りが過ぎてゆくのと同じように、いつの頃からか筧にはその深祕がなくなってしまい、私ももうその傍に佇むことをしなくなった。しかし私はこの山径を散歩しそこを通りかかるたびに自分の宿命について次のようなことを考えないではいられなかった。「課せられているのは永遠の退屈だ。生の幻影は絶望と重なっている」――梶井基次郎『筧の話』 

 

 これをド変態なラブレターに変換することができたら、三七十さんのような、愛情表現になるのでしょう。とてもうらやましいです。梶井の全集を持って、一緒にゆっくり歩いてみたい。何度も言います、最高でした。

 

【校正要素】
・「いう」「言う」
・「けど」「けれど」
・「傷つく」「気が付く」「ついてくる」「気づかない」
・「守って来た」「ついてこないでね」「持ってくる」「つけてくる」
・「過ぎて行く」「どこにもいけない」「ついていきたい」一般動詞 *「興奮していく」「かわっていく」「発揮していく」形式動詞は揺れていません 
・「演技をする、」「一歩も動けない、」「待っている、」 *わざとかもしれませんが、地の文での文末読点
・「出会った時」「しがみつくとき」
・「向き合う」「愛しあう」
・「わたし」「私」
・「1ミリ」 *どうしても気になりました。この文体なら「一ミリ」にしてほしかった…(個人的なわがまま)
・「面目たたない」 『が』抜きはまちがいではないと思いますが違和感がありました。
・「一人」「ふたり」
・「守って来た」「まもりたい」

 

×夢野久作「氷の涯」――未衣子さん

 恐怖でした。

 

 『ドグラ・マグラ』で終わるには非常にもったいない作家なので、こういう形で読めるといいですね。

 

【校正要素】
・「といえば」「言う」「直感がいう」「そういえば」
・p.18上段左2行目字下げ?
・「メイが明らかに態度を変えたのは、その日を境にしている」意味は通じますがなんとなく違和感がありました。


×宮沢賢治――大野のどあめさん

 もう少し読みやすいと嬉しいです。なにが挑戦状で、なにがラブレターなのか、いまいちわからなかった印象です。私の読解力の問題かもしれません。個人的に「雨ニモマケズ」は、道徳的なところよりもむしろ、「行ッテ」の部分に賢治の思想があるような気がしています。

 

【校正要素】
・「つかれる」「疲れる」
・「4年生」「第二文学部」

 

×太宰治「きりぎりす」――香良洲あげはさん

 明治文語文らしい告白調で、人のことが好きなんだか嫌いなんだかわからない太宰らしいテンションで、「ふつう」を生きる時間を確保するために自由恋愛するあげはさんの日々が語られます。あまりに引用が難しいのでしませんが、この文章は時々ゆっくり読み返したくなるものです。昨日のために今日を、今日のために明日を滲ませるような「ふつう」の在りかたの限界と、その限界をやっぱり望んでしまう「サブカルな私」の、よさが文章ごと染み渡ります。

 

 テクニカルな話をすると、こういった告白調の、次々にことばを継いでいく文章は、できるだけ読者を止めてはならないので、「わかる/分かる」「なに/何」などの気になる――つまり表記によって意味が変わりそうな――揺れは、あらかじめ弾いておいていたほうがよいかと思われます。「わかる」と「分かる」は何がちがうのかな、と思って読み進めるのは、そこそこ心的負担になりますゆえ。

 

【校正要素】
・電話番号のダッシュが横になっています。
・「YMO」が横になっています。
・「わかる」「分かる」
・「なに」「何」

 

×坂口安吾「白痴」――あべみえさん

 出来不出来はおいといて、坂口安吾に挑戦状を出そうと決めた心意気がすごいと思います。もう少し読みやすいと嬉しかったです。

 

×林真理子――橘まり子さん

 林真理子は読んだことありませんでした。知っていると面白いのかもしれませんが、知らなかったので特に何も感じずに流しました。

 

【校正要素】
・p.28下段左1行目の字下げズレ、ルビのズレ。
・p.29上段真ん中、「―(改行)―。」を字送りで修正したいです。
・p.29下段、記号あとのスペース

 

×穂村弘――夕暮ともりさん

 穂村弘と言えば、短詩型のほかに、クンデラの「詩とは全ての断定を正しくする」という定義を用いて詩を日常に見つけるエッセイが好きでした。一回読むと飽きるので文豪とは思いませんが。読んでいて、卒論を書くにはちょうどよさそうだなあと(笑)

 

 挑戦状とかラブレターとか、やはり企画のハードルが高いためか、本誌の後半は「面白い!」と思えるところがあまりありません。自分を語るテンションなのに、何かを論じてしまう文章の癖みたいなものがあるのか、どうしてもぎこちない文章になって、読むのが退屈になってしまいます。

 

【校正要素】
・p.30記号後のスペース
・p.30下段、なぞの句点挿入

 

×コレット「青い麦」――遊牧菜々さん

 文章がもう少し読みやすいとありがたいです。

 

 フランス恋愛文学というと、どうしても婦人と年下男性という感じですが、こういう同世代系のもあるんですね。湿っぽくなくてよいです。

 

【校正要素】
・p.32上段「『わけね』。ひょうきん~」セリフ後の外出し句点
・p.33上段「~なぞり、『~』」文末なし(ほかのところにもあります)
三点リーダーが奇数個です

 

×サガンブラームスはお好き」――がおちゃ'16さん

 この原作は最高に面白いです。

 

人生は女の日記じゃない。古くなった経験のつづきでもない。君はぼくより十四だけ年上だ。そして、ぼくは君を愛している、君をいつまでも、いつまでも愛するよ。それだけだ。――サガンブラームスはお好き」より 

 

 こういうきざな誘いかたがじょうずなチャラいやつが出てくるのですが、なにかと表現がおもしろいです。がおちゃ'16さんが19コマの短編漫画でモティーフにした部分は、私も割と好きなところなので共感しました。男はじぶんのほうが上だと思い込んでいて、評価する側にいると思い込んでいて、その価値観を当たり前のように女性に押しつける。それでも恋愛脳になってしまったら最後、「そんなひと」とも平等に、対等になれる気がしてしまうもので、いやはや怖いです。

 

奥付

 「Informations」ですが…このようなまとまった言いかたで複数形は言わないように思います…。(情報を個別に分割して考えるところではないため)

*********

 テーマが難しいというのがあると思いますが、本来はもっと書けそうなかたが、ぎこちない文章になっていたりなどあり、推敲やリライトがどのぐらい行われているのか気になりました。編集意図なのかもしれませんが、あまり突出せず、平均や普通を目指しながら、早稲女であることで――あるいはその自虐肯定的なメンタリティで――ひとつキラキラ盛り上がろうという感じがします。それはとてもすてきなことなのでいいと思いますが、ひとりの読者としては、もっともっと「読ませにかかってきている」文章を、とことん味読してゆき、そのなかで早稲女のユニークなメンタリティや、記号性に回収されない早稲女な「あたらしく」を感じたいな、と思いました。

テキスト系同人誌(文章系同人誌)のレビュー企画|第四号――京都大学非公認「サークルクラッシュ同好会 Vol,4」

四、サークルクラッシュ同好会そのもののサークルクラッシュ
 以上の目的を一定程度果たし、当同好会がサークルとして成り立ってきたところで、最後の仕上げとして 自身のサークルをクラッシュし、有終の美を飾る。
――サイト「活動目的」より 

 

 今回は、京都大学非公認サークル「サークルクラッシュ同好会」の会誌(vol.4)です。サークルのイメージとは異なり、かなり真面目に作っているのでレビューするの大変なんです。しかも、この手の分野には複雑なコンテクストがある――というか「私はメンヘラに関する作品について詳しい」「私はSNSのメンヘラや姫に関して誰よりもわかっている」という自尊心を持っているひとたちがネットにわんさかいる――ので、うまくそれを回避しながらレビューしようと思います。

 

※本稿に書かれていることは「らららぎ」個人による感想の域を越えず、本サークル『本質的にちくらぎ』とは関係ありません。


購入動機と星型レビュー

【購入動機】
(1)気になるジャンル本
(2)内容が真面目(かつ実力者が多い)
(3)作品批評でお茶を濁すのではなく、ひとを観察・考察するハイレベルでオリジナルな価値がある

 

【評価】
装丁:☆☆☆☆☆  *パニエスカート・フリル・リボン・日傘・ショートソックスかわいい(第二号の子がいちばん好きです)
編集:☆☆
校正:☆
目次:☆☆☆
評論:☆☆☆☆   *内容は面白いのですが、クラッシュの「失敗性」ではないまったく別方向の評論があればいいな、と思いました。
小説:☆☆☆☆   *「サークルクラッシャー麻紀」、最高です
漫画:☆☆☆☆
奥付:☆☆


メンヘラ論・姫論・サークラ

 一般的なメンヘラ論・姫論は、特定の作品や人物(アカウント)とともに語られやすいのですが、「サークルクラッシュ同好会」では、創始者の「ホリィ・セン」さんがひととひとの関わり自体に着目しているということもあり、作品群やアカウント群の文脈で考察するというよりかは、サークルクラッシュという概念で助走をつけながら具体的な事例や経験などを関係論的に分析・統合してゆく空気があって、とても好きです。

 

巻頭言

幾度も反復されるイメージ。どれだけ言葉を紡いでもすくい取れないあの人。いつも悩んでいたはずなのに、今以上に悩んだことはない。絶対的な転轍点だった、いやありうべき線路はもうない。心地良かったえふぶんのいち、永遠に続く単調な揺らぎが、終わりあるものなのだと教えてくれたあの人に、何かを言いたい。相手はもう目の前にはいなくて、ことばは空転するのだけれど。あの人のことばは外殻を切り裂いて、意味が、世界が、わたしが、開かれた。(p.7)

 

 ホリィ・センさんによる巻頭言です。かなり長いですが三種類の読ませる文章が用意されております。太宰の『ダス・ゲマイネ』っぽい雰囲気です。

 

恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。けれども私は、そのころすべてにだらしなくなっていて、ほとんど私の身にくっついてしまったかのようにも思われていたその賢明な、怪我の少い身構えの法をさえ持ち堪こたえることができず、謂いわば手放しで、節度のない恋をした。好きなのだから仕様がないという嗄しわがれた呟つぶやきが、私の思想の全部であった。

 

 巻頭言の最後にある「実際チョーまじめだからこの本。たかが恋愛なのにね!」のところがすごく好きです。

 

【校正要素】
・「どれだけ言葉を」「ことばは空転する」「あの人のことばは」

 

サークルクラッシャー麻紀」――佐川恭一さん

男4、女1、すばやく人数を確認。女のルックスは中の下。男どもはおしなべてヒエラルキー下位。おし隠せない童貞の香り。右手にべったりはりついた精液の幻影が見えるようである。(p.10)

 

「えっすごーい! A文学賞って聞いたことあります! それの最終選考ってもうほとんどプロじゃないですか!」
 部長は緊張にこわばっていた顔を少し緩める。三次と一次が嫉妬心を燃やす。「いや、おれも三次までは行ったんやけどさあ」「おれも一次はいってんねん。二千ぐらい応募あるから、一次も結構難しくて、こないだやっとさあ」などと自分もある程度すごいことを何とか示そうとする。(p.13)

 

その後しばらくの間、例会ではケンタの隣に座ったサークルクラッシャー麻紀が机の下でケンタのペンスをいじろうとし、「やめろって」などと言いながらまんざらでもないケンタのドヤ顔を見せつけられる、ということが続いた。(p.13) 

 

 隅から隅までわざと記号化してまわり、名前の付けかたもオースターの『幽霊』のように工夫されていて、読むひとに「サークルクラッシュされる(クラッシャれる)ってこういうことなんだ」と共有イメージを抱かせるのに充分な文章で書かれていました。そのなかでも「部長」という人物をとことん書けていて、短編なのにすごいなあ、と関心するばかりです。

 

 雰囲気のある巻頭言に、いきなりハイレベルな小説が出てきて、出し惜しみなく本気で作ってきている感じが嬉しいです。紙面の都合かもしれませんが、ほとんど改行がなくそこだけ苦しかったです。

 

【校正要素】
・「価値観を持つ」「弾力をもつ肌」「小説を持って行かなくなり」「威力を持たなく」
・「いく/行く」
・「まぎれこませる」「教え込む」「ペニスを挿し込まれてイキ狂う」「落ち込む」「ペニスをはめこむために最適化」「新たな価値観を持ち込んだ」「決め込めさえすれば」「魂をこめたかどうか」「老け込む」
・「いま/今」
・「京都大学へのチケットと引き替えに捨てた」「論点をすりかえた」
・「はじめて/初めて」
・「サークルクラッシャー麻紀(36)」p.16横になっています


「『付き合う』とはどういうことか――愛と契約の関係性について」――すりっぱさん

では、「付き合う」という契約は、逆に相手に何かを禁じるものであると考えることはできないだろうか。(…)つまり私たちは、関係の排他性を経由することでしか、「付き合う」という契約を有意味なものとして定義することができないのである。(p.23-24 3-3 占有の契約)

すなわち、そもそも相手が「私」にとって特別であることは自明であるのに、なぜ相手をそのように扱うことをわざわざ約束しなければいけないのだろうか。(p.24) 

 

 恋愛を社会学(やジェンダー・文化・権力論)だけを頼りに切っていく手法や、「付き合う」=「契約」として捉えようとする価値観も中学生あたりから社会人にいたるまで、なぜか大人気です。著者のすりっぱさんは、じぶんが何度も振られ、そのとき付与された建前のような理由(友達でいたいから、など)を中心に考察するのですが、「社会学が答えを教えてくれる」という前提にあるのかな、という感じのぎこちない論述という印象でした。

 

 最初の段落「『付き合う』とは、一般的にお互いの合意があって初めて成り立つ関係だからである。」(p.18)で、「合意」概念を認めて以来、なぜか説明もなく「契約」という概念に置き換えられ、「合意」については考察されておりません。「契約」「約束と制限」「同意と許可」「意志」「決定プロセス」などはいいのですが、どうして「合意」を置き換えたのかは不明です。

 

 恋愛成就は「タイミング」「フィーリング」「ハプニング」と言われますが、合意というのはどのような複雑なプロセスを経ているのでしょうか。「告白をハプニング化する」とか、「制限をフィーリング化する」とか、そういうことが可能なのか不可能なのか、どういうプロセスなのか、だれのなにをスキャニングすると解明するのか、そういったことが気になります。「付き合う=告白」を論じると、どうしても「失敗しないために」というデータ化・演算処理化の話になりがちです。そりゃ誰だって失敗したくないわけですから、そうなってもしかたないのですが、失敗から得られるデータだけを分析しても、偏った結論しか得られないようにも感じます。本質だけを抜き出し、データ化して、演算処理しても、「データの取りかた」が練られていなければ、狙った問題解決は得られませんからね。

 

【校正要素】
・「A・ギデンズ」「R・D・レイン」「人数が0人」「相手A」「相手B」「4-3」横になっています。
・「愛がいわば非選択的な選択」いわばになっていません。(いわば株価のようなもの、のところは◎)
・「一体なんなのだろうか」「何なのだろうか」
・「~すればよい/良いだろう」
・「みなす」「見当たらない」「見合う」
・「信条をもった」「好意を持った」「知識を持った」
・「区別をつける」「区切りを付ける」「結論付ける」「付き合う」
・「といえるだろう」「と言わざるをえない」「さらにいえば」「とは言えないの」
・「意識的に維持される愛は、もはや愛とは言えないのはないだろうか」脱字


「セックス同意書」「アスペ的人間は恋愛とどう付き合えばよいのか『セックス同意書』考」――ひでシスさん

 こちらも「失敗しないために」を前提に、本質だけを抜き出して、データ化し、それを演算処理すれば、人間の感情発露パターンなんて限られているから成功する、という発想が出てきます。失敗しなくなるのはいいのですが、失敗しなくなったあとはどうしたいのでしょうか。「サークルクラッシュ」のまさに「クラッシュ」の部分を失敗として考えたときに、失敗しなくなって、クラッシュがなくなったときに、まだ自由恋愛が行われるとして、どういう世界であることを望んでいるのでしょうか。

 

【校正要素】
・「共に行う相手 」半角スペース
・「見を投じる」誤字


「職場クラッシュ」――サークラ姉さん

 論点とはちがいますが、サークルはクラッシュするだけマシですね。

 

「物理学徒が読み解くサークルクラッシュ現象」――2501(サークラの覗き屋 atTUS)さん

 ここでもまた「失敗しないために」ということが書かれ、もしかしたらサークルはサークルクラッシュを望んでいるのかもしれない、という観点は排除されております。もう少し物理的に解くのかと思っていましたが、やはり扱いにくいのかもしれませんね。とかく「メンヘラ」にせよ「姫」にせよ、なんなら「サークル構成員」にせよ定義が難しいので、ありがちな記号化と独りよがりな断定はまぬがれないのかもしれません。

 

【校正要素】
・p.44下段右5行目、字下げ
・p.47下段左2行目、字下げ
・「不備が目立つことを前もってお断りとお詫びを申し上げる」
・「どうなるか?」などのダレ後のマス空け
・「つづく/続く」

 

「女子大生かくありき。」――ばっきーぬさん

 漫画の補足に書いてある「学生のうちに恋愛耐性を身につけておく」というのは、ここまでの著者の「理論によってあらかじめ失敗しないように」というビクビクした前提とは異なるもので、明るいです。ちょうど後半一発目だったので、ようやく明るいのが出てきたな、という感じでした。絵は、トーンの部分のトーン感がすごいのでなんかもう少しどうにか、という感じでしたが、全体的にうまくてよかったです。

 

「映画『心が叫びたがっているんだ。』レビュー:ただ成瀬がかわいそうだから彼女にしたとか思われるのは嫌だしそんなつもりもないし、もうァーって感じだ」――じあんさん

 作品批評でお決まりのフロイト・クライン・ラカン(ついでに斎藤環)でした。

 

「ちーちゃんはこう言った」――雪原まりもさん

 ニーチェの変奏はすごくよかったのですが、地の文がどうしても無理でした。

 

僕はなぜクラッシャられるのか」――ホリィ・センさん

久々に振られてみて気づいたのは、「ちゃんと振ってくれる」人というのは意外に少ないということです。(p.82) 

 

 東、宇野、宮台、平野を出しながら、途中なにが語りたいのだろうとよくわかりませんでした。前半を読んでいたとき「私はマザコンなので恋愛できないんです」と言えば終わるような話を延々としていて、自分(自分の恋愛)について語りたいのか、オタク(オタクの恋愛)について語りたいのか、東とか宇野とかについて語りたいのか、Key作品について語りたいのか、サークルクラッシュについて語りたいのか、ほとんどじぶんのなかで整理されずに熱量と評論知識だけで進めてしまっているな、という感じでした。(でもクオリティは高いと思いました)。

 

 最後に「(…)恋愛は人を〈他者〉へと向かわせるということになる。それは『母性』からの自立であり、恋愛における成長は人間の発達段階のアナロジーのように捉えられるのではないか、と思った。そういう意味で、クラッシャられはいつまでも無条件に承認し続けてくれる母親から離れられない赤ちゃんなのではないだろうか」と結んでいるとおり、これはマザコン男の割と典型的な話を、AIRだのセカイ系だのの評論の文脈で変奏しただけで、なにか特別な話というわけではないんですよね。

 

 単に「これまでずっとママから与えられてきた勝ち組男のマザコンが、自由恋愛において同じような心の穴を持っている人間としか接触できてこず、お互いが『ママのようにずっと与えてくれること』を望むためにあえなくクラッシュする」ということで、あと一歩、なにかアイデアがほしかったなあ、というところでした。第四号まで同じテーマでやっていると、こうなってくるのかな、と、行き詰まりも感じました。

 

 最初の「ちゃんと振ってくれる」の「くれる」のところからマザコンの匂いがプンプンしていたのですが、おそらくそれは自覚されていないかもしれません。

 

【校正要素】
・「UFOの夏」「≒」横になっています。

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 あいかわらず面白いひとたちが、面白いことを考えているなあ、と読んで大満足しました。特に自己救済的に「失敗しない理論」への熱量がすごく、そういうのは見ていて若さだなあと感じて、じぶんのエネルギーにしようと思えるのでありがたいです。

 

 なぜ社会学や古典精神分析学にこだわるのかわかりませんが、もしかしたら「ママ」の代わりが学問のなかにあるという神託(オラクル)を受けているのかもしれませんね。ホリィ・センさんの論がとても納得でき、私自身もおおむねそう考えているところです。赤ちゃんだから――もっとマシに言い換えて「大学は幼稚園だから」――クラッシュして当たり前というか、むしろクラッシュしたいんじゃないんですか、というのが私の聞きたいところです。

 

 学問や理論や、あるいはサークルの女の子に「ママ」を探して、裏切られて、うわーん(ァー!)ってなって、やっぱりママはママしかいなかった、というところに再帰したいんじゃないんですか、という感じがします。

 

 与えて欲しいものを与えられてきたひと、というのは、「恋愛」を使ってどのように自己変容してゆくのでしょうか。あるいはそれをテクニカルに支える理論などはあるのでしょうか。チューリングマシンの停止問題ではありませんが、数学的に解決できそうなところと、できなさそうなところの区別がさらにハッキリするとよいですね。つくづく、サークルクラッシュ同好会の論文から目が離せません。

テキスト系同人誌(文章系同人誌)のレビュー企画|まとめ

 同人サークル「本質的にちくらぎ」に所属するらららぎ(@lalalagi_chatte)が知名度を広めるため半分、同人誌を盛り上げるため半分で始めた企画です。来年の五月までに百本のレビューを目指しております。そもそも百本もテキスト系同人誌を持っていないので、買い足し買い足しでやるということで、それは自然と即売会へ足を運ぶことになるし、いろいろな交流や勉強があることでしょう。それをまた本誌『あみめでぃあ』に還元できれば最&強なのではないかと考え、始めました。

  

 セルフルールとしては、(1)お金を出したからには「わからない」「つまらない」「面白くない」「読めない」などは普通に言うけど、悪意のある悪口・誹謗中傷はしない、(2)購入動機を明記する、(3)いいところを見つける前提で読み始める(私の実力不足で見つけられないことも)、(4)必ずサークルの理念や基本姿勢を確認する、(5)速報を心がける、このあたりを守ります。以下がレビューさせてもらった同人誌一覧です。目指せ百本。

 

※レビュワーらららぎは、翻訳・評論・小説・短詩(短歌)・校正・編集・写真をやるにんげんですので、自然とそういう観点からのコメントに絞られると思います。

※レビュー内容は「らららぎ」個人によるもので、サークル「本質的にちくらぎ」や同人誌『あみめでぃあ』とは全く関係ありません。 


第四号―― 京都大学非公認「サークルクラッシュ同好会 Vol,4」

第三号――NEKOPLA斎藤『日常想像研究所2』

第二号――さきがけ文学会『蘖―ひこばえ―』第四号(通巻第七号)

第一号――『立教大学文芸批評研究会 文/芸 Vol.8 秋号』

第〇号――私たちは本当に「感想」が欲しいのだろうか